共同研究

東アジアの伝統的木造船建造および操船技術の比較研究

木造船に関する基礎調査

日程:2017年3月24日(金)~3月26日(日)
調査先:国立国会図書館、日本郵船歴史博物館、国立歴史民俗博物館
調査者:廣瀬直樹

ドブネの接合用に用いる漆。小麦粉を入れて練って使う。大正4年にはドブネ1艘に6貫目を使用した。

ドブネの接合用に用いる漆。小麦粉を入れて練って使う。大正4年にはドブネ1艘に6貫目を使用した

 神奈川大学での共同研究会にあわせて、国立国会図書館、日本郵船歴史博物館、国立歴史民俗博物館で、木造船に関する基礎調査を実施した。そのうち国立国会図書館では、所蔵されている水産関係の報告書で、大正期頃に実施された漁船調査の成果について内容確認を行った。
 大正4年刊行の『富山県之水産』には、富山県氷見地域で鰤定置網漁に用いられた漁船として、「天トウ船」および「胴船」の当時の船価が掲載されている。
 「天トウ船」は、氷見ではテントともいい、二枚棚構造にオモキを組み込んだ構造を持つ船である。その船価は185円、うち材料費が120円、大工90人分の工賃が65円である。建造に使用された船釘と接着剤として用いられた漆についての記載もあり、船釘は18貫14円40銭、漆は2貫目14円である。
 一方「胴船」は、丸太を刳り貫いたオモキを船底に組み込むオモキ造りの大型船ドブネを指す。船価は650円、うち材料費が420円、大工150人分の工賃が230円である。また、使用される船釘は60貫48円、漆は6貫目42円である。
 それらの船について全長等の記載はないが、一般に定置網漁の網取り用のテントは10m前後から15m程度、ドブネは昭和10年代には12~13m、戦後は14~15mのものが主流だった。そうした大きさの違いはあるにしても、棚板構造のテントに対してオモキ造りのドブネはおおよそ3.5倍の船価であり、その大部分は材料費が占める。また、接合用の船釘や漆にしても3倍の量を必要とする。俗に「ドブネ1パイ、家1軒」といい、それゆえ昭和30年代末頃にはテントに取って代わられたドブネだが、その実際を具体的な数値で知ることができた。また、日本海沿岸で特徴的な接着剤としての漆の使用についても、1艘の船での必要量が明らかとなる点で有用な資料といえる。今後、当プロジェクトを通じて、福建省と日本での船材接合技術の比較検討を課題としているが、そうした点でも本資料の考察をすすめていきたい。

(文責:廣瀬直樹)

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沖縄の木造漁船サバニの現存調査

日程:2016年12月27日(火)~12月30日(金) 
調査地:沖縄うるま市立海の文化資料館、越来造船、伊江島、久高島、羽地ダム、古宇利島、瀬長島ほか
調査者:出口正登、出口晶子

■ 写真1 越来造船、油津のチョロを造る ■ 写真2 伊江村中央公民館のサバニ

 ■ 写真1 越来造船、油津のチョロを造る  ■ 写真2 伊江村中央公民館のサバニ

写真3 久高島フェリー港のサバニ

写真3 久高島フェリー港のサバニ

写真4 久高島民俗資料室の帆走サバニ

写真4 久高島民俗資料室の帆走サバニ

写真5 古宇利島のサバニ

写真5 古宇利島のサバニ

 昨年度に引き続き沖縄本島および周辺離島にて、木造漁船サバニの現存状況を実施調査した。まず27日、うるま市立海の文化資料館にて、学芸員前田一舟氏と情報交換ののち、平安座の越来造船を訪問、4代目船大工・越来勇喜氏から新造中の宮崎県日南市油津の木造船チョロについてお話を伺った。チョロは、沿岸マグロなどの漁に使われた木造帆船で、2002年地元有志が復元にこぎつけ、以来堀川運河でのイベントや体験学習に活用されてきたものだ。2009年油津で現地調査したときには3艘目が地元で新造されていた。今回、沖縄の越来造船でチョロの新造に出会うとは想像していなかった。
 この現況は、在地の船を在地のネットワークで造り需要をみたす段階から、船大工は「図面さえあれば」どんな船でも造ることが求められ、彼らの奮闘により列島の木造船文化は維持されていることを示す。越来さんは、「地元で造れる人がいるならそのほうがいいさ。もし必要な技術について求められれば、いくらでも教える」と語る。また「出来の悪い技術になるぐらいだったら、消滅するほうがいいよ」ともいう。木造船でありさえすれば、よしとしてその技の水準を目利きできる状況ではなくなっていくなかで、あえておかしな技術なら残さないほうがよいという姿勢は、木造船衰退期を生きる船大工として正しい覚悟なのである。

 一見意外に映る沖縄と宮崎の遠距離発注は、少し考えれば納得がいく。宮崎は江戸時代より飫肥杉、日向杉の名で知られる杉の名産地であり、ねばりのある材質は、船材として高い評価があった。沖縄のサバニも単材の丸木舟から厚板を刳ってあわせる技法に移るなか、宮崎産の杉が使われるようになった。油津は、そうした船材の集積港だった。杉材の入手に越来治喜さん(3代目)・勇喜さん親子は今も宮崎の山まで出かけて原木を買い付けており、宮崎との縁は深いのである。越来さんは今後も沖縄以外の船を造る機会が増えるだろう。船大工の減った列島を自らの技術力で援護し、遠く近くの和船文化をささえていく。木造船の現場は、今、そういう時代のただなかにあることをここ沖縄で改めて確認した。

 さて、28日は伊江島、29日は久高島を訪れサバニの現存状況を把握した。30日は橋でつながった本部半島の古宇利島、那覇空港近くの瀬長島を訪れた。羽地ダムも見学し、沖縄北部のダムツーリズム、水の民俗について情報をえた。伊江島では公民館や資料館にある木造船サバニを観察し、久高島ではフェリー港と漁港に3艘の木造船サバニを実見できた。久高島の民俗資料室にも帆走サバニの展示があり、漆喰の使用を観察、写真記録することができた。橋でつながった古宇利島や瀬長島の漁港では競走用サバニとともに、木造漁船のサバニを新たに確認した。
 木造船の存在は、丹念に見て歩けば、土地の人が「もうない」と語る場所にも発見することが少なくない。木造船終焉期の今日、その現状をつぶさにとらえ、写真記録を残しておくことは重要だ。大型民俗資料である木造船は、たとえいったん博物館におさめられても、そこが必ずしも安住の場所とはならない。そんななかで使われていなくても、そこにありつづける木造船の写真記録は、周囲の生活景観とともに技術の仔細を将来にわたって伝えるすぐれた学術情報となる。資料館や公民館、漁港の片隅や路傍をふくめ木造船がどのように存在しているか、その現状検証と資料化は、いまを生きる我々の仕事なのである。

(文責:出口正登・出口晶子)

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