共同研究

台湾の「海女(ハイルー)」に関する民族誌的研究—東アジア・環太平洋地域の海女研究構築を目指して—

2019年度 台湾現地調査

日程:2019年8月26日(月)~9月10日(火)
調査先:台湾台北市、基隆市、新北市貢寮区澳底、台東県蘭嶼郷
調査者:藤川美代子、齋藤典子、許焜山、沈得隆、藍紹芸

 前半に当たる8月27~31日は、藤川が調査拠点の一つである新北市貢寮区澳底に泊まり込み、許・沈・藍が通いで現地調査を実施した。後半は、藤川・許に齋藤を加えた3名で台東県蘭嶼郷を中心に現地調査を実施した。調査の詳細と得られた結果の概要は以下のとおりである。

1)新北市貢寮区澳底「石花菜街」における販売戦略

石花菜・石花凍・石花飲を販売する攤子(藤川美代子撮影/新北市貢寮区) 澳底の石花菜街(藤川美代子撮影/新北市貢寮区)

左:原味(=砂糖)、右:黒糖味の石花凍(藤川美代子撮影/新北市貢寮区) パイナップル味の石花凍(藤川美代子撮影/新北市貢寮区)

石花飲(藤川美代子撮影/新北市貢寮区)

 澳底では、陽暦4月~9月中旬までの期間、海岸線を走る省道の濱海公路(1979年開通)沿いのごく一部、長さにして100mにも満たぬところに4軒の「攤子」(=屋台)が立ち並び、店主がそれぞれに道を行くドライブ客やサイクリング客を相手に、きわめて積極的に石花菜関連の品を販売している。ここは、まさに「石花菜街(=テングサ通り)」とも呼ぶべき様相を呈している。
 このうち3軒の店主は女性で、いずれも幼い頃から素潜りで石花菜・その他の海藻や「海螺」(=サザエ)・「九孔」(=トコブシ)・「鉄甲」(=ヒザラガイ)・「笠貝」(=カサガイ)・ウニなどを採取しており、近年は「海女」として雑誌やテレビの取材を受けた経験がある。別の1軒は男性が店主で、こちらも同様に幼少期から素潜りで石花菜・「章魚」(=タコ)を採っており、工業高校卒業後は内装業の傍らそれらを採取してきた。
 4軒は、1)300gずつビニル袋に詰めて小売される乾燥石花菜(2019年の価格は、鳳尾が250TW$、大本が200TW$、浅水仔が100TW$で統一)、2)蓋つきの紙容器に入れて売られる「石花凍(=味つき寒天)」(1パックで20TW$、3パックで50TW$)、3)ペットボトルに詰めて売られる「石花飲(=石花凍を用いたドリンク)」1本で35TW$、3本で100TW$)の計3種を同一容器、同一価格で小売するという点で共通する。
 また、表面上は、客が来ない時間には自分の販売する分の乾燥石花菜についたゴミや石灰化した部分を除去しながらおしゃべりに興じ、一日の終わりに互いの売上額を報告しあうなど、友好的な関係を築いているように見える。
 しかし、同じ通りのそう遠くない距離に店を並べ、同じものを同じ価格で販売するため、互いが客を奪い合う強烈なライバルでもある。1軒ずつ密着するなかで、表面上は互いの性格や海藻採集の技術の高さ・乾燥加工の丁寧さを褒め合いながらも、水面下ではそれぞれが自らの売る石花菜・石花凍・石花飲がいかによいものであるかを実にバリエーション豊かな語り口で示すこと、そしてその自己評価は常にライバルたちの品物や行動に対する強い批判と表裏一体の関係にあることがわかった。
 さらに2019年春季以降、「石花菜街」から一本裏に入ったところにある海鮮レストランの隣で、別の女性が石花凍の販売を開始したこともわかった。この女性はもともと、福隆出身の夫が福隆の海に出かけて素潜りで採集してきた石花菜を乾燥させ、袋詰めしたものを自宅の軒先に並べて小売するだけだった。しかし、折からの東北角観光ブームによって自宅隣の海鮮レストランが全島的に有名になったので、そこに来る客を目当てに石花凍を販売するようになったという。石花菜街の店主たちが黒糖・冬瓜茶・酸梅といった味・色味ともにどちらかというと渋い印象の石花凍を販売するのに対し、こちらの店主は食紅で色をつけたパイナップル・パッションフルーツ・コーヒーなど若い人にも好まれそうな味の石花凍を独自に開発するなど、両者は売る相手・味の両面においてまったく異なる販売戦略をとっているように見える。

(文責:藤川美代子)

公設魚市場を持たない潜水漁民の島、台湾・蘭嶼

 2019年9月2日、藤川・許・齋藤の3人は、台湾・台東空港から20人乗りセスナ機に乗って30分、小島・蘭嶼に作られた狭小の飛行場に降り立った。
 このとき、筆者は、達悟(タオ)族(旧雅美族)の文化が自文化とは遥かに異なる文化だとは、想像だにしなかった。
 蘭嶼に出掛けたのは、新北市貢寮区龍洞海岸で出会った卑南族の潜水漁を行う家族の話から、台湾原住民が持つ世界観や海洋観に興味を持ったことにある。3年前、朝日新聞のコラムでタオ族の海洋文学作家シャマン・ラポガンさんを知った。そして自伝的小説『海人』『大海に生きる夢』に登場するタオ族の潜水漁に興味を持つ。今回、共同研究者・許焜山氏がシャマン・ラポガンさんの友人だった縁で蘭嶼を訪ねることができた。
 今回の調査では現地で交流した作家の家族やコミュニティーを中心に得た知見の一部を報告する。

1)蘭嶼の概要

 台湾語でLanyu(ランユ)と呼ぶ台東県蘭嶼郷(蘭嶼)は、台湾本島から南東に約40マイル(64km)に位置するフィリピン海に浮かぶ周囲36.5km、面積45.74km2の小島である。しかし、海岸から直ぐに400m超えの山が10座、500m超えの山が2座と、列をなし、平地は狭小である。人口は1915年当時、1,600人程であったが、現在は4,000人に増加する。そのほとんどは、台湾原住民族の達悟族(旧雅美族)である。漢族はわずかで、本島からやってきた公務員や1982年に台湾電力が作った核廃棄物貯蔵施設の職員などである。そして、日本人女性が1人居る。

2)2人の日本人の足跡

 驚くのは、明治30年(1897)鳥居龍蔵が当時「紅頭嶼(こうとうしょ)」と呼ばれていた蘭嶼の調査を70日間掛けて行っていたことである。そして、明治31年〜34年(1898~1901)にかけ『紅頭嶼土人の家屋』、『紅頭嶼土人の頭形』、『紅頭嶼土人の身長と指極 』の成果論文を東京人類學會雑誌に寄稿した。また台湾では、鳥居龍蔵の影響を受けた人類学者・伊能嘉距の蘭嶼調査を含む台湾原住民の研究が今も高い評価を得ている。

3)自然と共存する伝統家屋

「地下屋」と呼ぶタオ族の伝統家屋(齋藤典子撮影/台湾 蘭嶼)

 蘭嶼は高温多湿の熱帯気候で年間250日、雨が降る。同時に毎秒10m以上の強風が年間275日以上吹く。そしてフィリピン海で発生する台風の通り道でもある。この厳しい自然に即して建てられたのが、20年程前まで多くのタオ族が住んでいた「地下屋」と呼ぶ伝統家屋である。住居は小高い丘の斜面に「母屋」「涼み台」「台所兼食堂」「家畜小屋」が分散して建てられている。就寝のみに使う横長の母屋は、他の建物より10段ほど下がった半地下の場所に建てられ、その周りを石垣で囲む構造となっている。天井が低く、窓がほとんどない母屋は、強い風雨には適すが、狭く陽が当らない上に風通しも悪く、住み心地が良いとは言えない。そのため、日常生活は涼み台や台所兼食堂で過ごす。さらに石垣と母屋との間に溝があり、入り口が狭いことで外敵から身を守る利点があったようだ。

4)性別役割分業で行うタオ族の食

女性役割のサトイモ栽培(齋藤典子撮影/台湾 蘭嶼) 山羊、豚、鳥は放し飼いの蘭嶼(齋藤典子撮影/台湾 蘭嶼)

トビウオの天日干し(齋藤典子撮影/台湾 蘭嶼) 保存のために天日干しされた魚(齋藤典子撮影/台湾 蘭嶼)

投網を繕う、蘭嶼の漁師(齋藤典子撮影/台湾 蘭嶼)

 タオ人の主食は、畑で栽培するサトイモ、サツマイモ、ヤムイモである。開墾は男性が行い、イモの植え付け、水やり、除草、収穫は女性が行う。主食となる根菜類は、通年に渡り収穫できるよう、時期をずらして植え付ける。一方、「水イモ」と呼ぶ水田で栽培するサトイモもある。自宅から離れた場所にある水田の開墾は男女で行い、女性がサトイモの葉柄に塊茎の一部を残したものを植え付ける。2-3年掛けて育てられたサトイモは、新造船や新築家屋の祝祭、豊年祭の供物として使われる。
 タオ人の副食は、魚と貝、藻である。家畜である黒豚・山羊は、豊年祭や船や家の新造時に施主が自分の家畜を殺し、親戚や知人に分配する。蘭嶼の漁撈活動で魚類を捕るのは、男性の仕事である。2-6月に黒潮に乗って蘭嶼にやって来るトビウオ、シイラなどの回遊魚を船に乗り、トローリングや網で捕獲する。それ以外の時期は、沿岸で石斑魚(英:Grouper)漁や網を使ったイセエビ漁を行う。またタオの男性は、潜水(素潜り)漁で魚を獲る。その際、使用するのは、銛やTao語で「ウィチャン」と呼ぶ魚槍(軽い木製の水中銃)でタコ、黒鯛(Tao:バイマオ)を獲る。トビウオとシイラは、天日に干した後、燻製にして保存、自家消費や贈答品にする。
 一方、貝類、藻類、カニを採るのは、女性の仕事である。貝は、巻貝の一種である「ニグイ」、サザエの一種である「イッグイ」、九孔(トコブシ)など種類は豊富である。
 蘭嶼には、住民が作った野菜、果物、木製品などを商う「農會市」はあるが、公設の魚市場は無い。その理由は、これまでタオ人は、魚や貝、藻などの海洋資源は、自家消費のためにしか獲らなかったからである。しかし、観光化が進み、民宿や飲食店が増加する現代において、かつてのタオ族の規範がどこまで守られているのかは、今回の調査ではわからなかった。

5)父から子へと伝承されるタタラの造船技術

タオ族の伝統船チヌリクラン(齋藤典子撮影/台湾 蘭嶼) 急斜面を登り雑木を払う(齋藤典子撮影/台湾 蘭嶼)

道具の手入れを教える作家シャマン・ラポガンさん(齋藤典子撮影/台湾 蘭嶼)

 2019年9月、タオ族の作家シャマン・ラポガンさんは、息子とタオ族の伝統船タタラ(Tao:Tatara)を作るところであった。タオ族の男親は、息子が小学生になると、船の漕ぎ方、雲の動き、風の読み方、方角の見方を教え、成人すると船の作り方を教えるという。タタラは、漁撈に使う2-3人乗りの3m程の寄せ板作りの船で、儀礼に用いる10人乗り大型船・チヌリクラン(Tao:Cinedkeran)とは、区別される。船には、個人で所有する森に生えるパンノキやリュウガンなど、軽量の木を使う。その日は、船の龍骨にするリュウガンの木を森から切り出す準備に同行した。沢を40分程歩き、深い森の中に分け入り、3時間程、電動ノコギリ、斧、枝払い用の鎌で周囲の雑木を払い、山の上から下まで降ろす路作りの作業を行った。その後、木を切り出すまでには、3日ほどかかった。
 蘭嶼のタオ族は海の人であると同時に森の人でもあった。厳しい環境の中での暮らしは、我々が想像する以上に自然と共存しなければ、生きて行けないことを改めてタオの人に教えてもらった調査であった。 

(文責:齋藤典子)

[参考文献]
余光弘  2004『原住民厳書 雅美族』 
鳥居龍蔵 1898「紅頭嶼土人の家屋」東京人類學會雑誌147号


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