共同研究

台湾の「海女(ハイルー)」に関する民族誌的研究—東アジア・環太平洋地域の海女研究構築を目指して—

須崎区有文書第2回撮影作業と次世代を担う地区民と文書の保存活用について懇談

日程:2021年10月29日(金)〜11月3日(水)
調査先:静岡県下田市須崎地区
参加者:藤川美代子、齋藤典子
 調査協力者/古谷野洋子(日本常民文化研究所特別研究員・民俗研究者)、古谷野曻(民俗写真家)、石川亮太(立命館大学経営学部教授)、塚本明(三重大学文学部教授)

第2回目ともなると、文書撮影もセミプロ級(齋藤典子撮影) 虫食いと糞だらけの「紙」を丁寧に剥がし、目録を採る(齋藤典子撮影)

今回の調査目的

 下田市須崎区有文書の第2回目の調査と撮影作業は、10月29日-11月3日までの5泊6日の日程で行われた。今回の目的は、1.前回7月の調査で全容が掴めた須崎区有文書に残る未分類の「紙」の整理と目録への追加作業。2.前回未撮影であった、残り2/3の文書の写真撮影。3.若手区民有志の皆さんと、区有文書の保存活用について、懇談の機会を設けることであった。期間中、撮影場所の漁民会館が衆議院議員選挙会場と重なったため、日曜日は、須崎の地理的概要を確認するためのハイキングと若手区民との懇談会に当てた。また、今回から日本の近世史がご専門で、鳥羽・志摩地域の文書調査や海女研究に携わってこられた三重大学人文学部・塚本明先生に協力いただく事になった。

新たな重要文書史料を確認できた調査

新たに見つかった重要文書(齋藤典子撮影)

 前回の調査で須崎区有文書の現在に至るまでの経緯と現状について、古老や前区長さんから聞いた話を簡単に記したい。須崎区有文書は、江戸期より令和に至る今日まで、非公開のまま、漁民会館の倉庫の中に収められてきた。そのため、須崎区民の中でも文書の全体像を知る人はほとんどいない。理由の一つが古文書解読の問題である。知識や解読技術が必要なため、内容を知り得る人が限定されてきた。更に須崎地区は、明治期以降、隣村との合併や分村を経る中で、文書の保管場所や管理者が変わり、文書の全体的な価値を知る人が少なかった事が考えられる。これらの要因が重なり、区有文書に対する文化的位置付けや評価が異なり、古老たちの中には、様々な意見がある。その一つが、区有文書をデータ化する事によって、350年にわたる村民のプライバシーが公になり、権利が侵害されるから非公開のままで良いと言う考え方である。また、これまでの文書紛失を理由に写真撮影に反対する意見も出され、財産区の中でも意見統一が図れていないのが現状である。
 今回の調査は、資料庫の隅々まで丁寧に整理した結果、新たに目録未掲載文書、安永2(1773)年3月6日『山海出入御裁許証文 差上申一礼之事』が立派な木箱に収納されているのが見つかった。塚本先生によると、須崎村の磯の権利、入会地に関わる山の権利が明記される重要な文書である事が判明した。また、塚本先生に未分類の「紙」の整理もしていただき、新たに追加目録「補」として40点、追加目録「綴」39点を採録する事ができた。須崎区有文書の文化的な位置付けや保存の面から見ると、2回の調査で、一定の成果が得られたと考える。文書撮影は、2022年1月下旬をめどに終わらせる予定である。文書撮影が終わった後、 (1)須崎区有文書の新目録作り(2)データ化された文書資料の保存と活用に必要な作業手順など、地元の意向を尊重して須崎区民の皆さんと検討していかなければならない事は多い。

郷土愛あふれる次世代との懇談会

若手区民に文書撮影を見学していただく(齋藤典子撮影) 文書について話し合いの機会が得られた若手区民との懇談会 (藤川美代子氏撮影)

 今回の調査のもう一つの試みは、須崎区有文書の存在すら知らない若い区民に文書への理解を深め、文書撮影やデータ化を一緒に行ってもらう人材を探す事である。
 お世話になる民宿の若女将で海女でもあるNさんに、活動していただける人を選んで声かけをしていただいた。日曜日の午後という時間にもかかわらず10名ほどの40代の区民に集まっていただいた。区有文書の全体説明を土屋財産区議長にしていただいた後、塚本先生に須崎区有文書が漁村民衆史資料として大変価値の高いものである事を説明していただいた。若手区民から質問や意見が出される中、現在、須崎区が占有する共同漁業権漁場の根拠となる「明和の磯争い」については、祭りを通して若手も熟知していることに驚かされた。その後、お子さん連れで撮影現場を訪れてくれるなど、須崎を愛する人材が多いことを確認、須崎区有文書の保存活用の今後に期待が持てそうである。

(文責:齋藤典子)

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