共同研究

台湾の「海女(ハイルー)」に関する民族誌的研究—東アジア・環太平洋地域の海女研究構築を目指して—

植民地台湾のテングサ漁・流通に関与する沖縄県人漁業者と『寄留商人』についての調査報告

日程:2019年8月6日(火)~8月14日(水)
調査先:宮古島市立城辺図書館、沖縄県立図書館、琉球大学附属図書館、沖縄県公文書館、うるま市立海の文化資料館
調査者:新垣夢乃

写真1 1902年6月29日「寒天草の騰貴」『台湾日日新報』

写真2 宮古島市立城辺図書館

 これまでの調査によって台湾東北部のテングサ漁を行う「海女」は、植民地期に沖縄県から渡ってきた人々から技術を習得したことでうまれたと言われていることがわかってきた。では、沖縄県からはどのような人々が台湾へ渡り、そこでどのように台湾の「海女」と接触したのかという問題が浮かび上がってくる。
 それについては、又吉盛清や朱(辛)徳蘭による植民地期の社寮島(現在の基隆市和平区)にあった沖縄県人集落の研究蓄積からその一端がうかがえる。台湾が日本に割譲されたのは1895年のことである。又吉によると、1897年頃の沖縄県下は天然痘の流行と食糧不足という状況にあり、そのことが沖縄県人に渡台をうながした要因があるとしている。さらにはともに中国文化から影響を受けた沖縄と台湾の人々の交流、沖縄の人々の漁撈技術の伝達、台湾において貧困と差別に苦しむ沖縄県人の実態などを明らかにしている(1)。
 朱は、当時の新聞や行政側の資料をもとに当時の沖縄と台湾の漁業者たちの接触の詳細を明らかにしている。そこでは、沖縄と台湾の漁業者たちが主な漁獲対象としていたテングサが大阪や神戸を中心とした流通網に組み込まれていたこと。植民地期初期のテングサ漁業において沖縄と台湾の人々の間に対立があり、地方行政府である基隆庁は対立を取り締まっていた。さらに基隆庁は、台湾から内地へ移出されるテングサの品質検査を実施し台湾産テングサの品質向上を図っていたことを明らかにしている。また当時の沖縄県人集落の戸籍を分析することで、沖縄県のどのような人々がどのようなネットワークによって集落を形成していたのかなどが明らかにされている(2)。

 そのなかで本調査のきっかけとなったのが、従来の研究ではあまり取り扱われてこなかった1902年6月29日付の台湾日日新報で出された「寒天草の騰貴」という記事である。この記事によると、明治期に宮古島や八重山に進出したいわゆる「寄留商人」と呼ばれる内地人商人が、同じく新たに植民地となった台湾基隆に進出した「内地人商人」との間でテングサ相場を巡って競争が行われていることが紹介されている(3)。
 この記事からは詳細は不明である。しかし、宮古島や八重山は基隆でのテングサ漁に漁業者を送り出した地域でもあり、同じ地域を拠点とする「寄留商人」もなんらかの形で基隆のテングサ漁に関与していたということはうかがえる。そうであれば基隆のテングサは、台湾や沖縄の漁業者、台湾の内地人商人、沖縄の寄留商人たちが関与していたものであるということになる。これは従来の研究で示されたよりもさらに複雑な状況が当時の基隆のテングサを巡っては存在していた可能性を示すものである。そこで今回は基隆へ漁業者を送り出した沖縄県側の状況、基隆のテングサ相場への沖縄在住「寄留商人」の関与を明らかにするために調査を計画した。
 当初の計画としては8月6日から8日は宮古島、8日から10日は石垣島、10日から14日は沖縄本島という調査日程を組んでいた。しかし、8月7日から9日にかけて沖縄県域に被害を及ぼした台風8号の影響により7日に宮古島から沖縄本島に緊急避難をし、石垣島の調査をキャンセルしたため、当初の計画から大幅な変更を余儀なくされた。

 本調査での成果としては宮古島市立城辺図書館にて『宮古郡八重山郡漁業調査書』という1910年頃に作成されたと考えられる資料を確認することができたことである。この資料には宮古諸島伊良部島の佐良浜と佐和田から台湾へと毎年3月から7月の期間にテングサの「出稼ぎ漁業」を行う人々が出漁していることが記されている(4)。これは具体的に台湾へと漁業者を送り出していた地域を特定することができる貴重な資料である。
 また、沖縄県公文書館で確認した『沖縄現代史への証言』下巻のなかには、戦前の那覇や石垣島で海産物業を営んでいた古賀商店という寄留商人の家に嫁いだ古賀花子氏のインタビュー記事がある。そこからは寄留商人たちが大阪を経由して中国大陸への海産物販路を有していたこと、那覇の倉庫にテングサを保管していたことなどが記されている(5)。これは台湾産のテングサである可能性が考えられ、その流通において沖縄の寄留商人が関与していた可能性をみることができる資料である。
 今回は台風の影響もあり宮古島と石垣島での調査が行えなかったため、断片的な資料しか収集することができなかった。再度機会を設けて調査を行いたいと考えている。


(1)又吉盛清『大日本帝国下の琉球沖縄と台湾』同時代社、2018年:70、338-347頁。
(2)朱徳蘭「石花菜與社寮島沖繩人聚落」『臺灣沖繩交流史論集』遠流出版事業股份有限公司、2016年:104-113、118-128頁
(3)「寒天草の騰貴」『台湾日日新報』1902年6月29日:頁数不詳。
(4)『宮古郡八重山郡漁業調査書』作成者、作成年不詳:18、29-30頁。
(5)新崎盛暉『沖縄現代史への証言』下巻、沖縄タイムス社、1982年:126-127頁。

(文責:新垣夢乃)

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