戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究
山口和雄による富山湾の台網漁業史調査に関する追跡調査概報
日程:2017年1月19日(木)~1月20日(金)
調査先:伏木北前船資料館、高岡市立伏木図書館、氷見市立博物館、氷見市灘浦地域、氷見市教育委員会文化財収蔵庫
調査者:磯本宏紀
氷見市立博物館常設展で展示される藁台網
氷見市灘浦の泊地区の漁港。定置網用の漁船が並ぶ
山口和雄は、昭和11年9月16日頃から約1週間、富山湾の灘浦(現氷見市)を中心に台網漁業史の調査を行った。この調査は、事前に渋沢敬三が入手した史料と情報にもとづく指示により調査地が選定され、実際に山口が赴いて調査を行ったものである。当地はブリ等の有数の漁場で知られ、早くから藁台網と呼ばれる定置網類が発達した地域で、多数の漁場図や漁業史関連史料が残存する地域である。なお、山口和雄は、この昭和11年時調査にもとづき、アチック・ミューゼアム彙報第31として『近世越中難浦台網漁業史』(昭和14年12月発行)を執筆している。
本調査では、山口和雄の調査の追跡及び調査地の確認を目的とした。1月19日午後は、高岡市の伏木北前船資料館を見学、高岡市立伏木図書館で文献調査を行った。とくに伏木図書館では同館蔵『憲令要略』の調査を行った。同史料は山口の調査以前に灘浦の台網漁業史を記録したもので、アチック・ミューゼアム彙報の執筆時には山口が調査し引用している。1月20日午前は、氷見市立博物館において小境卓治館長、廣瀬直樹学芸員と面会し、氷見市の歴史民俗研究における『近世越中難浦台網漁業史』の位置づけ、ブリ等を対象とした定置網漁業の現状、台網関係史料を保有する網元と山口以後の漁業史研究者の来訪等について御教示いただいた。また、同館常設展示室において主に漁業に関する展示及び展示資料について廣瀬学芸員に解説いただき、中村屋徳八郎家史料の内、「氷見浦網場図」の閲覧、撮影をした。20日午後は、廣瀬学芸員に同行してもらい里木紀元氏宅で聞き取り調査を行い、現在の定置網漁業、漁業の変遷、山口の調査時に関係した家等の情報を得た。とくに、網元等の変動は少なく、山口が史料調査を行った上野家をはじめとして、現在も定置網の網元として経営を続ける家が同地に多いことを確認した。その後、氷見市教育委員会文化財収蔵庫でも漁具、漁船等閲覧、撮影を行った。
なお、翌21日に国立民族学博物館で他の共同研究者とともにアチック関係民具の調査を行ったが、山口が昭和11年富山県阿尾村から収集した資料(台網関係資料を含む)が、同館に所蔵されていることがわかった。
(文責:磯本宏紀)
平成28年度第2回研究会の開催
日程:2017年1月21日(土)~1月22日(日)
調査先:国立民族学博物館
参加者:加藤幸治、安室知、日高真吾、葉山茂、増﨑勝敏、磯本宏紀、佐藤智敬、星洋和、今井雅之、宮瀧交二
資料熟覧の様子
研究会
2017年1月21日(土)と22日(日)、共同研究「戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究」(加藤班)では、国立民族学博物館を会場にアチック・ミューゼアム収集の民具の調査と研究会を行った。
これに先立ち2016年11月28日、国立民族学博物館の標本資料詳細情報の館内検索をかけて、水産史研究室の同人とアチックから水産史関連の出版物がある人物の名前で、アチックに寄贈した民具のセットを抽出し、熟覧申請を行った。
1月21日は、この事前申請していた標本資料の熟覧調査を行った。調査した民具は以下の通りである。山口和雄収集民具32点、櫻田勝徳収集民具71点(ただし、山口と共同収集14件を含む)、進藤松司収集民具18点、佐藤三次郎収集民具6点、喜多村俊夫収集民具5点、渋沢敬三と宮本馨太郎収集民具一括資料1件(77点)であった。調査では、年譜や著述ではわからない研究過程を復元することができる可能性があることがわかり、今後の課題として共有した。
22日は、国立民族学博物館の第3演習室にて研究会を行った。まず加藤が人物検索から見えてくるアチック・ミューゼアム・コレクションの構築過程と、水産史研究室同人の動向について振り返った。次に佐藤智敬氏が、宮本常一の戦前の調査研究活動についての年譜的な理解と、未公開資料の調査について報告を行った。また、展示場での資料調査も行った。
この2日間の調査を踏まえ、加藤は23日も引き続き国立民族学博物館内にあるアチック・ミューゼアム関連の資料について調査や複写を行った。
(文責:加藤幸治)
氷上漁業関連資料調査
日程:2016年11月1日(火)~11月2日(水)
調査先:潟上市、昭和歴史民俗資料館・秋田市、ノースアジア大学雪国民俗館
調査者:加藤幸治
雪国民俗館の入る校舎
共同研究「戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究」(加藤班)では、平成28(2016)年11月1日(火)~2日(水)にかけて加藤幸治が秋田県内の民具所蔵機関にて所在調査等を行った。
今回の調査は、現在でも増殖業と結びつくかたちでワカサギ釣りの氷上漁業がおこなわれている八郎湖の漁撈用具について理解を深めるため、資料調査を行った。秋田県の代表的な漁撈用具の民具コレクションには、国の重要有形民俗文化財「八郎潟の漁撈用具」と、雪国民俗館所蔵の民具がある。今回は予備調査として、潟上市の昭和歴史民俗資料館、八郎湖の漁具や舟を保管する地元企業、真山神社、秋田市のノースアジア大学雪国民俗館等を訪ねた。氷上漁業の道具としては、タタキと呼ばれる松明がある。松ヤニを襤褸で巻いてササの葉やタケノコの皮で包んだもので照明用具である。干拓前の八郎湖の氷上漁業は、網漁と釣漁がおもで、現在は釣りのレジャーとして認識されている。
これについて、アチック・ミューゼアムの関連の研究をみていくと、竹内利美が昭和23(1948)年に『湖沼漁業史研究:氷上漁業について』(水産事情調査所)を著し、昭和32(1957)年に日本常民文化研究所の編集により刊行された『日本水産史』のなかでも「氷上漁業」を執筆している。特に後者は、渋沢敬三の還暦記念論集として編集されたもので、戦前に本来構想された『明治前日本漁業技術史』の目次を意識して編集された。戦前の記録からも、竹内利美は昭和17(1942)年に諏訪湖及八郎潟氷上漁業を実地調査しているようであるから、漁業史の一部としての氷上漁業が意識的に調査対象として認識されていたといえよう。昭和34(1959) 年に刊行された『明治前日本漁業技術史』(日本学士院)では、「第三篇 雑漁技術史」の第二章として「氷上漁技術史」があげられている。
今後は、国立民族学博物館のアチック・ミューゼアム・コレクションや、国文学研究資料館の祭魚洞文庫などに、氷上漁業関連の資料収集を跡付けるものがないか調査しつつ、竹内利美がどのような問題意識を抱いてこの技術を研究していたかを考えていきたい。
(文責:加藤幸治)