戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究
祝宮静に関する神奈川大学日本常民文化研究所所蔵資料の調査
日程:2017年3月21日(火)~3月22日(水)
調査先:神奈川大学日本常民文化研究所
調査者:葉山茂
神奈川大学日本常民文化研究所において、魚名関連資料の綴に収録された資料の閲覧、調査を行った。魚名関連資料の綴はおそらく河岡武春によって綴じられたものであると推定される。この綴は、宮本常一が瀬戸内海の島嶼部で行なった魚名調査の成果を渋沢敬三に伝える書簡が主になっている。その綴の最後に、祝宮静の書簡が綴じられている。
この祝の書簡は、直接魚名調査に関わるものではない。おそらく、渋沢が書いた原稿のなかで、内容が不明瞭であった点について、律令制研究の専門家である祝に尋ねた質問の答えであろうと思われる。完全に論文名が判明しているわけではないが後日の調査から、渋沢が祝にコメントを求めた原稿は「式内水産物需給試考」(『渋沢敬三著作集 第1巻』平凡社, 1992, pp.365〜490.に収録されている)であると考えられる。内容は「享日」「河内国正税」「調雜物」「鮭」「麻笥」「三担十三隻」の項目に分かれており、それぞれについて解説を加えているが、その内容は租税に関わるものが多い。
祝宮静が渋沢水産史研究室にどのように関わっていたのかについては、大川家文書の整理に携わり、文書整理の結果から論文を書いていること以上の情報が少ない。したがって、こうした書簡の存在は関わり方を知る上で重要になる。関係する資料の検索を通じて、関わり方についてさらに明らかにしていきたい。
(文責:葉山茂)
国立民族学博物館所蔵のハコフグの剥製について
日程:2017年3月31日(金)~4月1日(土)
調査先:福岡県福岡市東区志賀島
調査者:増﨑勝敏
ハコフグ(2017)
国立民族学博物館の収蔵物に、ハコフグ(Ostracion immaculautm)の剥製がある。体長17.8mm、体高7.6mm、この剥製についてのデータカードには、1935(昭和10)年5月6日)に福岡県志賀島で桜田田勝徳が採集したと記されている。国立民族学博物館には、桜田が採集した民具が所蔵されており、そのうちの多くがウケといった漁具関係のものである。そうしたなかで、この資料は異色なものという感を否めない。ちなみに、この採集日の6日前に、桜田はアチック・ミューゼアムの研究員となっている。
ハコフグのデータカードには、「宗像郡海岸—地島・鐘崎—にてはコウコフク、鐘崎にて確かヨメゴフク或はヨメヂフクとも称した。ナマンサケ(精進でないしるし)として用ゐる。熨斗に似てゐる。(櫻田氏解説)」と記録されている。
今回、筆者はこのハコフグの使途について明らかにすべく、志賀島に赴き、聞き取り調査を実施した。
1940(昭和15)年生まれの男性によれば、結婚式のあと、新婦が仲人の妻と一緒に、親戚などへの挨拶回りをする際に、挨拶を受ける家では、ハコフグをお膳に載せて出した。という話であった。このハコフグは購入したものであったという。挨拶は玄関で行い、家に上がることはなかった。
1938(昭和13)年生まれの、漁業者の男性の話によれば、ハコフグのことをコーボーブクといい、それが剥製になったものも同じ名称で呼ばれたという。
この話者の話でも、ハコフグは新婦の挨拶回りに関わっている。彼の話では、新婦の親戚への挨拶回りのことをカオミセと言ったという。先ほどの話者の話同様、この挨拶回りは仲人の妻と一緒に行った。挨拶に回られた家では、玄関の板の間のところに、三宝に載せたハコフグを置いていて迎えた。ハコフグはタテアミ(刺網)で漁獲したものを、内蔵や身を取り除いて作った。日頃は箱に入れてしまってあるが、新婦が来るとなると、玄関に置いた。仲人の妻と新婦は、先ほどの聞き取りと同様に、ニワ(玄関の土間)で挨拶するにとどまったという。ただ、なぜ、ハコフグを置いたのかはわからないとの話であった。
かように、この1匹のハコフグの剥製には物語がある。筆者は民具研究を専門とはしないが、それぞれの民具を見つめる際には、その「もの」が語ることを探求する必要性を痛感した。
(文責:増﨑勝敏)
戸谷敏之関係資料の調査概報
日程:2017年3月28日(火)~3月29日(水)
調査先:国立国会図書館、一橋大学経済研究所附属社会科学統計情報研究センター
参加者:今井雅之
戸谷敏之の自筆原稿(小野武夫文書)
共同研究「戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究」に関して、共同研究メンバーの今井雅之は戸谷敏之関係資料に関する調査をおこなった。
戸谷敏之は1938年にアチックへ入所し、その後「内浦雑考」「大津干鰯問屋仲間」等、肥料に関連する論文を発表した。しかし1944年に戦死したこともあり情報が少なく、研究の意図やその全体像は未だ明らかにされていない。戸谷敏之の名前で刊行された著作物は限られているため、この問題を考えるにあたっては戸谷の師弟関係を考慮した上で周辺の情報を集めてゆく必要がある。報告者は過日の研究会でこの点について整理し、法政大学時代の師である大塚久雄と小野武夫の影響が大きいことを報告した。
本出張では非刊行の文献を調査するため、国立国会図書館と一橋大学経済研究所附属社会科学統計情報研究センターに赴いた。
3月28日は国立国会図書館にて、一般刊行されていない論文について調査した。その一つが、小野武夫博士還暦記念論集に提出された「中齋の『太虚』について-近畿農民の儒教思想-」である。本論は日本の陽明学と禁欲プロテスタンティズムを相似的に捉えたうえで経済と思想の関係について論じようとするものであり、この問題関心は大塚久雄の影響を受けていると考えられる。戸谷は似たテーマで『切支丹農民の経済生活—肥前国彼杵郡浦上村山里の研究』を著しており、本書との関係についての検討は今後の課題となる。なお本論集には、同じく小野武夫の弟子であった伊豆川浅吉も「陸前捕鯨史の一齣」を掲載しており、戸谷との横の繋がりを伺うことができる。
3月29日には一橋大学経済研究所附属社会科学統計情報研究センターに赴いて、小野武夫文書を調査した。同センターの報告によれば、小野武夫の遺した文書群の中に戸谷敏之関連の資料が含まれているため、それらを閲覧することを目的とした。
閲覧した資料は原稿14点、その他行政文書や写真約100点である。原稿の中には戸谷敏之の論文「近世商業仲間の獨占について—大阪干鰯仲間記録を資料とせる—」が存在した。原稿用紙の隅には「祭魚洞文庫用紙」と印字されており、当初からアチックに提出する論文として執筆されたことが伺えた。
本調査では全容を把握するに留まり、全てを複写することは叶わなかった。次回の課題としたい。
(文責:今井雅之)