戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究
平戸市の定置網に関する情報交換及び平戸市、唐津市での巡検
日程:2017年12月9日(土)~12月11日(月)
調査先:平戸市生月町博物館 島の館、平戸市生月町中央公民館、唐津市鯨組主中尾家屋敷ほか
調査者:磯本宏紀
写真1 平戸市生月町博物館 島の館
写真2 唐津市呼子港のようす
本年1月には、調査者は富山県氷見市で定置網に関する調査を行っているが、この調査に関連するシンポジウム及び展示が長崎県平戸市で行われたため、共同研究の一環として参加した。定置網の技術的系譜と発展についての研究は、アチック・ミューゼアム時代の山口和雄の著書『アチック・ミューゼアム彙報第31 近世越中灘浦台網漁業史』(1939年発行)が端緒となったと言える。後に山口和雄は『日本漁業史』(1957年発行)の中でも定置網の発達の系譜について「一、長門・肥前を中心とする西南系大敷網漁業、二、越中・能登を中心とする北陸系台網漁業、三、陸前・陸中を中心とする東北系大謀網漁業、四、陸奥・北海道方面の建網漁業」の4系統を示し、現在まで定説化している。シンポジウムでは、この山口の議論を踏襲しながらも、再検討とその後の技術的展開も視野に入れた議論が行われた。
調査日程は、12月9日夜間に北九州市まで移動し、10日に平戸市に移動、平戸市生月町博物館 島の館展示見学、シンポジウム「定置網の歴史と文化を探る」に参加した。11日は佐賀県唐津市呼子町の鯨組主中尾家屋敷の展示見学及び呼子町での聞き取り調査を行った。唐津市呼子は、宮本常一らが記述するように多くの移住漁民を受け入れた地域であり、テグス行商としても知られる徳島県鳴門市瀬戸町堂浦出身者の一本釣り漁民が多数在住する。一本釣り漁及び漁業移住に関する聞き取り調査を行った。
(文責:磯本宏紀)
渋沢敬三が仙台時代を過ごした米ケ袋地区の巡検と研究会
日程:2017年11月4日(土)
調査先:東北歴史博物館、東北学院大学、東北大学史料館、宮城県仙台市青葉区米ケ袋地区
調査者:加藤幸治、今井雅之、揖善継、佐藤智敬、星洋和、増﨑勝敏、安室知
■米ヶ袋地区の大正期の地図、赤丸は渋沢敬三が下宿していた旧デニング邸の場所(原図は個人蔵)※クリックにて拡大
■東北学院旧宣教師館
2017年11月4日、共同研究(加藤班)では、東北学院大学を中心に仙台において、渋沢敬三が仙台時代を過ごした米ケ袋地区の巡検と研究会を行った。
当日午前中は、東北歴史博物館(宮城県多賀城市)において、狩猟や漁撈関係する東北地方の民俗資料について情報交換を行った。そこから、東北学院大学(宮城県仙台市青葉区)に移動した。
午後は、東北学院大学から徒歩で仙台時代の渋沢敬三関係の場所を巡検した。まず、東北大学史料館において、旧制二高についての展示を中心に見学し、時代背景や当時の学都:仙台の状況について情報共有した。そこから、敬三らが共同で下宿した旧デニング邸跡や、米ケ袋地区を巡検した。当時の米ケ袋地区は、外国人宣教師や英語教師などの邸宅や別荘が軒を連ねる地域であった。現在は、一棟だけ残っている東北学院大学土樋キャンパス内の重要文化財:東北学院旧宣教師館(デフォレスト邸)がその名残をとどめている。
巡検終了後は、東北学院大学にて研究会を実施した。内容は、現在進めている未完の筌研究関連資料の調査についての中間報告、来年度実施予定の報告会と、刊行予定の報告書の全体像について、検討を行った。
(文責:加藤幸治)