共同研究

戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究

進藤松司関係資料の調査概報

日程:2018年3月14日(水)~3月15日(木)
調査先:広島県東広島市安芸津町三津
調査者:今井雅之

安芸津歴史民俗資料館の蛸壺

進藤松司の住居跡付近

 アチック・ミューゼアムからは、生活者自身の手による暮らしの記録が複数刊行されている。その代表的なものの一つが秋田の農民、吉田三郎が記した『男鹿寒風山麓農民手記』(以下『農民手記』)であり、もう一つが広島の漁民、進藤松司が記した『安芸三津漁民手記』(以下『漁民手記』)である。報告者はこれら両『手記』が、渋沢敬三の中で対なるものとして捉えられていた可能性を考慮し、『漁民手記』の舞台である広島県東広島市安芸津町三津を訪ね調査をおこなった。
 14日は安芸津歴史民俗資料館にて地域の概要を把握するとともに、生前の進藤を知る人物を訪ねて聞き書き調査をおこなった。翌15日も同調査をおこなうとともに、これにより明らかになった視点に基づき地域内を巡検した。
 進藤松司が暮らした安芸津町三津は、瀬戸内海へと南流する三津大川沿いに集落が展開している地域である。近世期、この河口にある町場には広島藩の御蔵所が置かれ、ここで集積された米が上方へと運ばれていた。これが近代になり租税が金納に改められると、河口に集まる米を利用した酒造業が盛んになり、広島杜氏の発生へと繋がってゆく。『漁民手記』に記される冬期の酒蔵出稼ぎにはこうした背景があった。また、進藤が住んでいた当時の「濱丁」は河口の左岸に細長く展開する集落であり、漁業に従事していたのは安芸津町三津の中ではここだけであること、したがって安芸津町三津全体として見た場合には、漁業が中心の地域とはいえないことも明らかになった。
 進藤は同著の中で様々な漁法について記録しているが、自身が主として取り組んだのは蛸壺縄漁であった。聞き書きによれば、この漁は大量の蛸壺が必要で多くの元手を必要とする。その意味で当時の進藤家は、決して貧しい家ではなかったのだろうということである。
 『農民手記』を記した吉田三郎と比較した場合、共通する点は以下の通りである。渋沢敬三に見出されるまでに大西伍一が関与している点。両者共に進取の気風に富み、新しい技術を導入した点。戦後も渋沢敬三と関わりを続け、折々に助力を受けていた点。晩年には地域の郷土史家的な役割を担うようになった点。
 逆に異なる点としては、吉田の村が「富永青年自治塾」を結成するほど地域全体として勉学の気風が強かったのに対し、進藤の村は特にそういったことはなく、独学に励んでいた点。両『手記』出版後、吉田が敬三の招きに応じて保谷に移り住み、アチックの一員として活動したのに対して、進藤はそれを断り、地元三津で漁業を続けた点などが挙げられる。
 農村と漁村を舞台としたこの両『手記』をとりまく一連の状況は、敬三のアチックに対する考え方、また昭和初期の農漁村青年を取り巻く状況を考える上で興味深いものとなっている。引き続き関心を深めていきたい。

(文責:今井雅之)

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地島・相島におけるハコフグ調査

日程:2018年2月9日(金)~2月11日(日)
調査地:福岡県宗像市地島、新宮町相島
調査者:増﨑勝敏

地島白浜漁港(2018年2月10日)

相島漁港(2018年2月11日)

 筆者はこれまで、現在国立民族学博物館に所蔵され、アチック・ミューゼアムの収蔵品であった、ハコフグの剥製について調査を行ってきた。このハコフグは桜田勝徳により福岡県東区志賀島において収集されたものだが、その使途について、桜田が調査で得た内容と異なった伝承、たとえば婚礼に関する資料を筆者は得ることができた。
 今回の調査では、福岡県沿岸島嶼におけるハコフグに関する聞き取りを行うべく、2018年2月10日から11日にかけて、福岡県宗像市地島、新宮町相島に赴いた。
 桜田勝徳は「香物河豚」(桜田勝徳 1932 『俚俗と民譚』第1巻第8号、pp.6~7)において地島の人々がお茶うけに出す漬物の膳の脇にハコフグの剥製を置き、それをコーコフクと称することが述べられている。
 今回の地島での聞き取り調査では、桜田が実見したような資料を得ることはできなかった。だが、昭和26(1951)年生まれの男性の漁業者からの聞き取りでは、このフグをコウコウブクと呼んで、毎日卓袱台の上に置き、ほこりがついたり、汚れたりすると、新しいものに変えたとの伝承が得られた。ここでは併せて、コウコウブクが縁起物だと思うとの知見も得られた。
 一方、相島においては、ハコフグに関する伝承を得ることができなかった。ただし、1962年の女性からの聞き取りでは、入学祝いや出産祝いの慶事において袱紗に包んで金銭をいれた封筒にイリコを3本か5本(奇数本)添えて先方に渡すという習俗を聞くことができた。この返礼として、マッチをやはり奇数本袱紗に入れて返す。この話者の1932年生まれの義母の話では、祝いの際、魚の鰭を添えて差し出したこともあったという。ただ、結婚祝いや病気見舞いなどは、繰り返しあってはならないので、袱紗には何も入れずに返すとのことである。
 今後の指針としては、福岡県の島嶼・沿岸地域について、調査を行うとともに、これまで聞き取りを行っていない農業地区についても調査を実施してゆく必要がある。そのことで、ハコフグの剥製の使途と、使用する地域を検討してゆきたい。

(文責:増﨑勝敏)

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