共同研究

戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究

戦後における楫西光速の活動に関する調査概報

日程:2018年3月8日(木)、3月9日(金)
調査先:東京都千代田区・国立国会図書館、東京都品川区・塩事業センター本部
調査者:星洋和

『日本塩業の研究』(塩事業センター所蔵)

 共同研究「戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究」に関して、星洋和は、楫西光速の戦後の活動について、東京都内で調査を行った。
 3月8日は、国立国会図書館で楫西の著作について調査を行った。今回の調査では、楫西が戦後に書いたルポルタージュ「銚子港」(藤田親昌編『文化評論』8号、1948年、文化評論社)のほか、項目の執筆および編纂委員として関わった『日本社会民俗辞典』などの著作を閲覧した。また、今回の調査では、学術誌『海洋の科学』に掲載された、山口和雄、伊豆川浅吉、宮本常一の論考を発見した。山口らの論考はいずれも戦時中に書かれたもので、文末には「日本常民文化研究所」と記されている。なお、3月12日に神奈川大学で行った研究会では、この山口らの論考を参加者に共有し、戦時体制下における水産史研究室の立場について議論を行った。
 3月9日には塩事業センター本部にて、日本塩業研究会に関する調査を行った。日本塩業研究会は、加茂詮氏が中心となって1956年に結成された研究団体で、1961年からは、渋沢敬三が会長として、楫西や宮本常一が顧問として参加している。今回の調査では、日本塩業研究会の設立経緯や同研究会における楫西らの役割について理解を深めるため、同研究会の会誌『日本塩業の研究』や加茂詮氏の著作を閲覧した。

(文責:星洋和)

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福岡湾岸島嶼におけるハコフグにかんする調査

日程:2018年3月23日(金)~3月25日(日) 
調査先:福岡県市東区志賀島・弘・勝馬、西区能古
調査者:増﨑勝敏 

勝馬の農村風景(2013年8月9日)

能古島漁港(2018年3月25日)

 報告者はこれまで、桜田勝徳が福岡県志賀島で収集し、アチックミューゼアムに収蔵されていたハコフグの剥製について検討してきた。まず、その収集地である福岡県志賀島に赴き、その名称や使徒を聞き取り調査した。そしてこのハコフグが婚姻習俗とかかわりあっていた点を明らかにしてきた。そこで今回は、2018年3月24日に、志賀島の志賀・弘において補足的な調査を実施するとともに、未調査である勝馬での聞き取りを行った。また、25日に志賀島に近接する聞き取り調査を行った。拙稿はこれらにかんする報告である。  
 志賀島での習俗については、すでに報告した内容と重複する点もあるが、習俗全体の有機的連関性に鑑みて、あえて報告に加えるものとする。なお、志賀の地名については島名との混同を避けるため、地元で使用される、志賀という呼称を使用する。
 志賀ではシュウギ(結婚式)の前後にカオミセをおこなった。これは新婦が親戚や近所に挨拶回りをするものである。カオミセは大安など日を選び、不浄日や三隣亡といった、暦で悪い日は避けた。カオミセではヨメゴ(新婦)、仲人の妻、男方の親戚5、6人で各家を回った。各家に人が居る夜に、提灯を手に各家を訪ねた。回るのは近所とムコ(新郎)の親戚の家で、ヨメゴの親戚の家は回らなかった。訪ねられた家では、三宝にコーボーブク(ハコフグ)やタイ、トビウオの鰭を補したものを飾り、ヨメゴを迎えた。ヨメゴ側は、各家にお茶の入った袋を配った。
 さて、これまで報告してきた志賀は第1次産業については漁業を主力とし、弘は半農半漁の集落であった。それに対して、今回取り上げる勝馬は農業集落である。2018年2月末現在、世帯数104、人口231である(福岡市資料による)。第1次産業のうえでは純農業集落であり、稲作のほかイチゴや柑橘類を栽培している。
 勝馬で聞き取りを行った1938年生まれの農家の女性の話では、シュウギの後、オヨメサンがムコ方の親戚に挨拶回りをしたという。このとき、ヨメ、ナカダチ(仲人)の妻、ムコ方の親戚で各家に赴いた。訪ねられる家では、一行が来ると、四角い盆にハコブクなどのナマノクサケを載せて出した。ヨメはそれを押しいただいたという。
 これまでの報告とあわせ、ハコフグは志賀島3集落のいずれでも、内容は異なっているとはいえ、婚姻にかかわる習俗と結びついていたことが明らかとなった。ハコフグにかんする婚姻儀礼は、漁業、農業といった生業の違いとはかかわりないようだ。
 つぎに、能古島における調査で得られた伝承について述べてゆこう。
 能古島は博多湾入口に位置し、九州本土とは、姪浜からの渡船を利用すると、約10分に赴くことができる。2018年2月末現在、世帯数349、人口686人である(福岡市資料による)。第1次産業についてみると、漁業と農業が営まれている。漁業では、経営組織別経営体数では2013年現在、16経営体を数え、すべてが個人経営体である(漁業センサスによる)。農業では、柑橘類栽培が営まれている。また、のこのしまアイランドパークという観光スポットがあり、四季の花々が楽しめるとあって、福岡市民にとってのリゾート地となっている。
 ハコフグと婚姻儀礼についての結びつきについては、野間吉夫が言及している。少し長くなるが引用してみよう。

 嫁に行くとヨメゴザルキといって、カカサンがヨメゴを連れて親戚や近所回りをする。この礼をうけた家では、オナマノクサケといて、鯨のヒレや干ふぐ、干えびなどを三宝にのせて出す。嫁さんはそれをいただいて、お茶餅をおいていった(野間吉夫 1973 『玄海の島々』慶友社 p.89)。
 

 ここでは、嫁の親戚回りにハコフグが関わっているという、志賀島の婚姻習俗と類似した事例が述べられている。
 ところが、1936年産まれの漁業者の男性によれば、ハコフグは縁起がいいので、家の中に祀られたエビスサマの棚に置いている家や、笹の先に挿して、この棚のそばに祀るという事例が得られたが、婚姻にかかわる伝承は聞き取ることができなかった。
 さて、これまで玄界灘、博多湾岸の島嶼を巡り、ハコフグにかかわる習俗を述べてきたが、そのなかで明らかになった点を整理してみよう。
 ハコフグは、たとえばナマノクサケと称せられ、精進でない、祝い事に供せられる縁起のよいものと認識されてきた。特に結納や新婦の挨拶回りといった儀礼では、なくてはならないものとされていたことがわかった。そしてこの儀礼は、漁業地区だけでなく、農業地区でも同様に行われていたことを把握することができた。
 今後の課題としては博多湾岸の島嶼や、沿岸地域でのハコフグにかかわる習俗について、聞き取り調査を通して把握する必要がある。 

(文責:増﨑勝敏)

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戸谷敏之関係資料の調査概報 

日程:2018年3月25日 (日)~3月27日(火) 
調査先:長崎県長崎市、熊本県天草市、長崎県島原市、大村市
調査者:今井雅之 

教会と寺の共同墓地より見る崎津集落

天草市立本渡歴史民俗資料館展示室 

 共同研究「戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究」に関して、共同研究メンバーの今井雅之は戸谷敏之に関する現地調査をおこなった。
 戸谷敏之はアチック入所以後、渋沢敬三の金銭的な支援を受けながら独自の研究を展開したが、その一つに『切支丹農民の経済生活—肥前国彼杵郡浦上村山里の研究—』がある。本書は生前に刊行された最後の著作であり、魚肥研究以降の戸谷の関心を理解する上で重要な位置を占めるものである。本調査では、本書の中で取り上げられている地域を訪ねて追跡調査をおこなった。
 25日は浦上キリシタン資料館、長崎市歴史民俗資料館にて調査をおこなった。浦上キリシタン資料館では、戸谷が分析の中心とした明治時代の弾圧、通称「浦上四番崩れ」を中心に展示が構成されており、県外各地に流配されながらも信仰を捨てなかったキリシタンの姿が具体的かつ象徴的に示されていた。長崎県歴史民俗資料館では、当地における生活の様子が民俗資料で表現されていたが、当館では逆にキリシタンに関する言及はなされていなかった。信仰と経済状態の関係についての視点は現代においても主流な関心にはなっていないことが伺えた。
 26日は熊本県天草市の富岡、大江、崎津などの地域を訪ね、戸谷の関心に基づいた調査をおこなった。当地域では現在「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産登録に向けた機運が高まっており、歴史の再整備がなされている地域である。戸谷は天草のキリシタン農民の特徴として、農地の狭小性による漁・林業への従事、それに伴う貨幣経済への強い関与を挙げているが、この名残は現在でも伺うことができた。ただし留意すべきは、現在のカトリック信徒と当時の潜伏キリシタンが地続きのものとして提示されやすい点である。昭和戦前期の段階で既に戸谷が指摘していたように、当時のキリシタン信仰の内実は、在来の民間信仰にかなりの程度近しいものであった。
 27日は天草市立本渡歴史民俗資料館、長崎県島原市、大村市を巡検し、各地域の生業について理解を深めた。
 本調査を通じて明らかになった知見をもとに、『切支丹農民の経済生活—肥前国彼杵郡浦上村山里の研究—』についての分析を深めてゆく。

(文責:今井雅之)

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