共同研究

戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究

宮本常一に関する沼島調査・テグス調査(沼島・徳島・高松)

日程:2017年2月20日(月)~24日(金)
調査先:沼島(兵庫県南あわじ市沼島)、堂浦(徳島県鳴門市)、
 徳島県立博物館(徳島市)、瀬戸内海歴史民俗資料館(香川県高松市)
調査者:佐藤智敬

沼島漁業協同組合内文書調査

沼島漁業協同組合内文書調査

堂浦(対岸の島田島より)

堂浦(対岸の島田島より)

 2017年2月20日~22日、1月の予備調査に引き続き、宮本常一が昭和16(1941)年に調査し、記録を残している沼島の再調査を実施した。
 今回の調査では、まず宮本が調査した際に筆写した古文書資料の所在について確認を行った。その結果、沼島漁業協同組合にて、宮本が実際に筆写したであろう近世蜂須賀家から発行されたとされる文書、明治期に近隣との漁業権に関する取り決めを記した契約書等の文書の大半が、現存ないし写しが残っていることが確認された。漁業を主たる生業としている沼島にとって、漁業権にまつわる書類は重要なものであろう。また、昭和30年代に起こった島内の大火の際も延焼を免れ、資料自体も島外に出ていくこともなかったことに驚く。確認できた文書については簡易的な撮影を実施した。今後、宮本の筆写記録や漁業制度資料に残る文書類と内容の照合をすすめたい。ただし、文書自体は未整理状態でしかも多数あるため、調査を完了できたわけではない。また、今回発見したものについても、原版ではなく、島内で別途筆写したと思われるものや、所在不明のものもあったため、今後再調査および整理を必要とする。
 また、前回に引き続き、神宮寺住職・中川宜昭氏と面会の上、島の変遷、および宮本の記録をもとにした聞き取り調査を実施した。あわせて、昭和20年代頃に整備されたとされる島内一周道路を歩き、山ノ神、沼島の四国霊場等の巡検を実施の上、土地の把握を行った。

徳島県立博物館

徳島県立博物館

瀬戸内海歴史民俗資料館

瀬戸内海歴史民俗資料館

 22日、沼島を辞し徳島県へ渡り、鳴門市瀬戸町堂浦への巡検を実施した。宮本は大阪のテグス問屋とともに、テグス行商についても紹介している。そのなかで、堂浦についても注目し、渋沢宛の書簡のなかでも「阿波堂ノ浦へどうしても一度行って見ねばならぬやうに思ひました(昭和17年10月)」とまで表明している。その点からも、テグス文化を知る上では避けて通れない土地である。現在では水産庁が選定した「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に「堂浦のテグスといやしの杜 阿波井神社」として認定されている地区でもあり、昭和40年代までテグス行商船の拠点であった。しかしながら、何人かの方にインタビューをこころみたが、テグス行商についての記憶は得られなかった。宮本もまた、著作のなかで何度も堂浦を紹介はしているが、現地に入って詳細な調査を実施してはいないようである。
 23日、徳島県立博物館において学芸員・本研究会の共同研究者である磯本宏紀氏の協力のもと、磨きテグス等、ナイロン以前に使用されていたテグス類および関連資料の閲覧を行った。その後、博物館に隣接する県立図書館および文書館で文献調査を実施し、主に堂浦とテグス船、および沼島(現在は兵庫県に属するが、かつては阿波蜂須賀領であったため)に関する情報収集を行った。
 24日、瀬戸内海歴史民俗資料館(香川県高松市)において、昭和40年代まで堂浦を拠点に使用されていた最後のテグス船の実物(収蔵庫内)を、専門職員・織野英史氏の案内で見学することができ、テグス行商についての知見を深めることができた。
 以上、宮本による沼島調査およびテグス調査の追跡を平行して行ったが、いずれについても全体の把握には至っていない。テグスおよび釣針調査はさらに淡路島、福井県等へも目を向ける必要があり、沼島については古文書の詳細な調査分類および魚名、民俗誌的記述の追跡、把握等が今後の課題として残っている。

(文責:佐藤智敬)

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香川県坂出市における巡見及び文献調査

日程:2017年1月20日(金)
調査先:坂出市立大橋記念図書館、塩竈神社、坂出神社
調査者:星洋和

坂出神社 坂出市の沿岸部の概観。聖通寺山から撮影

■ 1. 坂出神社。 2. 坂出市の沿岸部の概観。聖通寺山から撮影

久米通賢像

3. 久米通賢像

 星洋和は昨年度に引き続き、香川県坂出市での調査を行った。
 1941年の秋、楫西光速は坂出にある鎌田共済郷土博物館において、坂出塩田の開発者である久米栄左衛門(通賢)が残した手記や製作品を閲覧し、さらに所蔵資料の一部を借用している。今回筆者は、楫西が来訪した当時の坂出の様子について理解を深めるため、塩竈神社と坂出神社の巡見、坂出市立大橋記念図書館での文献調査を行った。
 調査で判明したのは、明治後期から昭和前期にかけて、坂出において久米栄左衛門の顕彰が進んでいたということである。坂出は古代から塩の産地として知られていたが、明治以降、瀬戸内海沿岸部における物流の中心地として、また全国有数の塩の産地として発展を遂げていく。その発展の基礎を築いた人物として、久米は国や地元から偉人として顕彰されていくこととなる。特に坂出では郷土の偉人として人々から敬愛され、顕彰歌や肖像画の作成、彼に関する業績の掘り起こしなどが、明治後期から昭和前期にかけて盛んに行われた。そして、1934年には主君である松平頼恕(よりひろ) ともに坂出の守護神として坂出神社に祀られることとなった。
 現在、坂出神社は1960年代の道路拡張工事に伴い、坂出市と宇田津町の境界にある聖通寺山に遷座されている。同山には坂出神社と同じく市街地から遷座されてきた塩竈神社も鎮座しており、境内には地元の塩業組合によって建立された塩竈神社の石碑や久米の銅像などがある。石碑や銅像はいずれも戦後に建立されたものだが、往時の坂出塩田の隆盛、そして、坂出における久米の人気の高さを窺い知ることができる資料である。
 本調査では戦前の坂出の様子、特に久米栄左衛門に対する顕彰の沿革について理解を深めることが出来た。前述の楫西論文では久米に高い評価が与えられているが、同論文を読み解くには、戦前に久米が地域を挙げて顕彰されていた事実を念頭に入れて読む必要があるだろう。

(文責:星洋和)

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宮本常一に関する資料調査(周防大島)

日程:2017年1月29日(日)~2月1日(水)
調査先:周防大島文化交流センター(山口県大島郡周防大島町)、神宮寺
調査者:佐藤智敬

宮本常一記念館表札

宮本常一記念館表札

水仙忌(周防大島町神宮寺)

水仙忌(周防大島町神宮寺)

 共同研究「戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究」に関して、宮本常一(1907‐81)に関する調査を行った。
 先年度に引き続き今回の調査では昭和10年代のアチック・ ミューゼアム時代に宮本が行った調査記録類の発掘を中心とした資料熟覧を行うとともに、水産史研究に関連すると思われる資料の撮影作業を継続した。
 今回の成果としては、渋沢敬三の関心に則した、いわゆる魚名調査に関する調査資料および分類資料を発掘した。宮本が動物図鑑の名称を独自に索引化したと思われる抜書、「周防安下庄浦の変遷」(『澁澤水産史研究室報告2』に収録されている宮本常一「御立浦周防安下庄の変遷」の元と思われる)原稿、明治期編纂された『明治漁業捕採誌』抜書として収蔵されていたカード裏面の魚名(宮本の筆跡ではなく、魚名調査の索引として使用されたものか)等について撮影を完了した。
 昭和10年代の宮本による調査成果のなかには、漁業に関する古文書の筆写がノートに残されている場合がある。昭和16年(1941)に実施した沼島の調査ノートもその一例である。その筆写古文書の一部が、戦後実施された漁業制度資料として転写されていることも今回の調査で確認された(沼島漁業協同組合文書)。
 また、1月30日は宮本の命日であり、彼の結成した組織をルーツとするNPO法人周防大島郷土大学が中心となって、宮本常一を偲ぶ「水仙忌」が毎年開催されている。今回はこの時期にあわせての調査であったため、参加する機会を得た。本年は没後110年ということもあり、日本各地から多くの方々が集い、単に彼を偲ぶのみならず、各地で何らかの文化事業が実施される見込みであることも報告された。
 今後の課題としては今回撮影された1000カット以上にものぼる資料写真の分析が優先される。それとともに、今回の調査から、昭和10年代の宮本の調査が、戦前の成果にとどまらず、戦後へ続く漁業制度資料調査や宮本自身の研究への足掛かりとなっているさまが見て取れるため、年譜整理という意味でも更なる資料整理と宮本自身の事跡分析が必要と考えている。

(文責:佐藤智敬)

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宮本常一に関する予備的調査(沼島・南あわじ市立図書館)

日程:2017年1月23日(月)~1月24日(火)
調査先:沼島(兵庫県南あわじ市沼島)、南あわじ市立図書館
調査者:佐藤智敬

沼島漁港遠景(おのころ神社境内より)

沼島漁港遠景(おのころ神社境内より)

南あわじ市立図書館

南あわじ市立図書館

 宮本常一が残した資料のなかで、昭和10年代の調査に相当するもののひとつが、昭和16年(1941)に行われた、淡路島に隣接する小島、沼島の詳細な調査成果である。平成23年(2011)に周防大島文化交流センターより「宮本常一 農漁村採訪録」シリーズの一つとして『淡路沼島調査ノート』が刊行されている。古文書の筆写、渋沢敬三の指示と思われる魚名の調査、さらには漁法や年中行事や祭礼等の記述等多岐にわたる。この調査成果は、生前に「~民俗誌」「~聞書き」といった形で公になることはなく、事例報告として宮本の作品の端々にその名が登場することがある程度である。その意味では、これまで宮本と沼島の関係は強く認識される機会がなかった。
 今回は宮本が調査した沼島の現地把握および、当時調査対象者となった方々や場所の追跡が可能であるか、宮本の調査成果が何らかの形で伝えられているかといった予備的調査を実施した。現地では、沼島の地域振興ボランティア団体である「ぬぼこの会」に島内ガイドを依頼し、島内の歴史等について聞くとともに、話者の追跡を試みた。また、ぬぼこの会の指導的立場である神宮寺住職・中川宜昭氏との面会の機会を得、宮本が調査を行った漁業関係者等の追跡を実施することができたとともに、当時の宿泊地、話者の動向などの一部が明らかとなった。
 沼島より淡路島に戻り、南あわじ市立図書館においては、沼島に関する文献調査を実施した。
 降雪などの悪天候にあわせ、渡海船等の時間的制約もあり今回の調査で判明したことは以上であるが、この成果を糸口として、宮本が調査した文書の現在、記された事跡へのさらなる詳細な追跡が可能という感触を得た。そのため、近日中に再調査を実施予定である。
 なお今回、沼島に周防大島文化交流センターより刊行された『淡路沼島調査ノート』を持参したところ、その存在は認知されていなかった。しかしながら、昭和10年代に宮本が沼島に来たこと自体は多少伝わっていたようで、その追跡を実施することへの理解を得られるのに時間はかからなかった。そして宮本による沼島調査の内容に沼島の方々も興味を持っておられた。今回の調査を介して、宮本と沼島の関係が改めて変化する可能性がでてきたといえるのかもしれない。

(文責:佐藤智敬)

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