共同研究

河原田盛美における本草学的知識から近代勧業的実践の転換に関する研究

2015年5月の南会津調査

日程:2015年5月21日(木)~5月24日(日)
調査先:南会津町旧河原田盛美家、奥会津博物館、奥会津博物館伊南館
参加者:高江洲昌哉、増田昭子

河原田文庫の由来(クリックにて拡大)

河原田文庫目録より(クリックにて拡大)

 2015年度第1回目の南会津調査は、山藤の咲く新緑の美しい5月中旬に実施した。今回は前回に引き続き、研究に必要な旧河原田盛美家の資料調査(撮影)のかたわら、研究成果の1つである『沖縄物産志附・清国輸出日本水産図説』(東洋文庫)が今年の3月に刊行されたので、研究成果の地元還元を兼ねて、南会津町役場を訪問し、大宅宗吉町長に報告をおこなった(研究班の活動と具体的な河原田盛美の活躍について説明をするため)。
 河原田の地元での活動を調べていく—「東山日記」・書簡などの資料から—過程で、他の有力者との付き合いがみえてきた。また、増田昭子氏の尽力により河原田と関係のあった旧家とのコンタクトも可能になった。

 当研究班は河原田の活動を中心に研究を行っているが、退官後の河原田の地元での活動を見ていくと、地元における人的なネットワークの中での活動、また彼の官歴を活用した中央との結びつきなど「近代勧業的実践」の新たな側面を確認することができた。特に「人的ネットワーク」を意識することで、一個人の活動だけでは見えてこない地域の「近代化」の歴史像を捉える今後の課題が見えてきた。
 旧河原田盛美家の資料調査では、河原田の著作物に関する版権証明書、『明治四十五年4月以来書加フ 書画副掛物目録』、『明治三十二年訂正 一名伊南文庫 河原田文庫目録』(時間の関係で未了)などを撮影した。「河原田文庫ノ由来」には「伊南文庫ハ河原田家ノ本領地伊南杦岸ニ設ケタル旧文庫ナリ其創始ハ弘安二年ニシテ…其名ノミ残リテ…河原田盛美之カ旧跡ヲ伝シ為メニ書籍ヲ集メ以テ千載ニ伝ントス」と由緒を意識した文庫であることが分かるが、単なる旧記だけでなく、添付写真の「水産部」の書籍のように現在的視点も兼ねて収集した文庫であることが分かる。
 今回の調査では、奥会津博物館伊南館、奥会津博物館を見学し当地域の地域的特性理解と河原田家資料に関する情報交換を行った。また、河原田と親交もあり当地域の有力者である旧馬場太郎衛門家(現在空き家)を見学し、当時の豪農の屋敷規模を確認した。
 帰路では、実地調査を兼ねて、河原田盛美の『東山日記』にも散見され、居住地である宮沢から南会津郡の交通の要衝である会津田島までの交通路でありながら険しい峠道でもある駒止峠を通ることで、河原田の行動と当地域における交通問題(河原田自身道路の整備や野岩鉄道の建設に尽力している)の深刻さを理解できるようにした(添付資料参照)。

 [上段写真左から/駒止峠から遠望、南会津町長との面談、河原田家の愛情こもったお昼ご飯]

資料_東山日記、駒止峠

(文責:高江洲昌哉)

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河原田盛美の実業—近代における南会津地方の生糸販売と澁澤商店と渋沢栄一

日程: 2015年5月16日(土)
調査先:渋沢史料館
参加者:増田昭子

写真上/「横濱澁澤商店日報」河原田家所蔵
(クリックにて拡大)
写真下/「福禄壽 青淵書」渡部又八(文一)家所蔵
(写真3点/南会津調査<2015年5月21日~24日>より)

 河原田盛美の出身地である南会津地方(現福島県南会津町)の主要な産業は、近世においては麻(大麻)と生糸生産であったが、近代には海外輸出に伴う生糸生産に主力がおかれるようになった。河原田は琉球在勤時代にも当地の生糸生産の状況に着目、その器械化に力を入れて指導していた。南会津においても河原田の日記『東山日記』によると、近隣農民の生糸生産の器械化に尽力していた様子が記載されている。河原田家の生糸も地域の生糸組合や柳馬生糸合資会社に販売委託している。こうした地域の生糸組合は関東地方に販売される一方で、横浜の澁澤商店に出荷し、輸出されていた。『東山日記』には「横濱澁澤商店日報」が配達されたいたことが記されている。こうした河原田の日記史料の情報確認のために渋沢史料館で調査を行った。澁澤商店は渋沢栄一の従兄渋沢喜作が経営した。河原田盛美が渋沢栄一、その他渋沢関係会社との関係を知る事が目的であった。さらに、河原田の生家における5月の資料調査では「横濱澁澤商店日報」が発見された。河原田は南会津地域の殖産興業の具体策として関東地方への商品輸送路である野岩越鉄道敷設を計画していたが、その実現のために志を同じくし、親交のあった田島(現南会津町田島)の豪農渡部又八(文一)家に「福禄壽」の青淵(渋沢栄一の号)の書があり、南会津地方と渋沢栄一とその関連会社とのつながりが確認された。以上、明治時代に南会津の過疎の山村においても河原田盛美を中心に、中央の実業家渋沢栄一や澁澤商店などと関連しながら、地域実業を形成しつつあったことが実証された。

(文責:増田昭子)

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沖縄での調査と研究会の開催

日程:2015年3月12日(木)~3月17日(火)
調査先:沖縄県
参加者:高江洲昌哉、増田昭子、泉水英計

 増田昭子氏は、他のメンバーより一足先に沖縄へ到着し、河原田も在琉時代に調査へ行った渡嘉敷島の物産調査へ(3月12日~3月13日)。14日に高江洲と泉水氏到着。14日夕方到着の泉水氏を除き、高江洲は県立図書館へ資料調査、増田氏は織物に関する聞き取り調査へ行く。15日は河原田の職務と関係する展示会が開催されているということで、浦添市美術館の「琉球・幕末・明治維新 沖縄特別展」展を見学。琉球国から沖縄県への変遷をたどると銘打ちながら、琉球に関しては、条約とペリーという幕末(琉球王国末期)に特化していた。さらに、「世界史の中でも、日本を近代化させた明治維新は奇跡」という展示主旨に沿ったためか、「琉球処分」を明治維新のなかに位置付けることができない—「琉球処分なき明治維新」という—展示になっていた。ある意味で、沖縄に対しては、「独立心」をくすぐるものであり、もう一方で明治維新の顕彰を両立させる内容であった。展示で何を語るのか、「展示における可視/不可視」の問題を確認することができた。午後は、沖縄県立芸術大学で開催された第3回戦後沖縄研究コロキウムで本メンバーの泉水氏の報告があるため、メンバー一同、シンポジウムに参加。16日午前は、南風原文化センターを訪問し、午後は以下の内容で外部の研究者も招いて、研究会をおこなった。

研究会テーマ「河原田盛美の視点と実践—明治と現在を往還して—」
1;河原田盛美を現在どのように考えるか
 主旨:河原田盛美は、琉球処分時に沖縄に在勤し、その後農商務省の水産官僚として活躍した。退官後は県会議員として、地元の政治家として活動している。名望家であり官僚という側面、また、水産にとどまらない物産への関心、こうした多面的な行動をした河原田を研究する意義について議論していく。  
 高江洲昌哉「『沖縄物産志附・清国輸出日本水産図説』刊行から奨励研究へ—主旨説明を兼ねて」  
                  
2;河原田盛美の視線を再考する—比較と展開
主旨:河原田盛美は国学、本草学など前近代の知識を摂取して、明治期に活動している。河原田の勧業に対する取り組みを検証するため、物産に対する同時代の知識人との比較や、河原田が言及した沖縄の漁業を事例に、実際の展開といった双方向的な事例など様々な視点から、河原田の物産に対する視点を再考していく。
 粟国恭子「1870・80年代の沖縄と博覧会—石沢兵吾と木脇啓四郎」
 國吉まこも「明治以降の沖縄における輸出品目としての夜光貝、高瀬貝等の貝殻について」 

3;河原田盛美の実践をどのように引き継ぐか
 主旨:河原田盛美は水産技術の改良だけでなく、地元産業の振興というものにも関わっていた。河原田の地元(南会津)の主要産業であり、明治期の沖縄でも主要産業であった織物を事例に、現在どのように継承されているのか、“人文学”の視点から「継承」と「振興」の意味を多面的に考察していく。
 増田昭子「地方における養蚕・製糸・織物の様子(器械化の様子)」
 平良次子「織物技術の伝承と保存の取り組み—南風原町の実践と課題—」
河原田を手掛かりに、様々な切り口で議論をしてきたが、散漫な「印象」の研究にならないよう、視座の確定と論点の結びつきを鍛えていくことが今後の課題といえる。

 [上段写真左から/渡嘉敷の風景、浦添市美術館の琉球・幕末・明治維新展、発表する泉水先生]
 [下段写真左から/南風原文化センター、研究会の風景、國吉氏提供の貝]

(文責:高江洲昌哉)

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第2回会議と第1回研究会の風景

日程:2015年1月26日(月)
場所:神奈川大学横浜キャンパス 国際常民文化研究機構
参加者:高江洲昌哉、泉水英計、中林広一、増田昭子

①会議は主に下記のような内容を話し合った。
第2回会議次第(13:00~15:00)
1:2014年度の活動の確認
 1)東洋文庫『沖縄物産志附・清国輸出日本水産図説』刊行の報告
 2)研究成果報告書の件
 3)2015年3月沖縄調査の件
  a)日程・宿泊関係
  b)第2回研究会の件
 4)その他
2:2015年度の活動方針予定案の確認の件
 1)5月の調査の件
  a)調査日程の件…連休後の予定
  b)調査内容の件…書籍の撮影、目録の入力
  c)諸連絡
 2)研究論文など報告書に何をのせるか
 3)その他

②研究会議は、増田昭子と高江洲昌哉が以下のような内容の報告をした。
(1)増田昭子:『東山日記』にみる物産について
 河原田盛美の日記(『東山日記』)の明治後半期の記述から、河原田家で栽培していた作物の摘出や農事歴の表作成など、および地元に戻った河原田がどのような作物を栽培していたのかを報告し、本研究を進めるための基礎データの紹介をおこなった。併せて研究視角やまとめかたについて議論をおこなった。
(2)高江洲昌哉:河原田盛美研究の課題についてー広義の研究史整理と課題の確認
 研究を進めるために、近年の近世・近代移行期の地域文化史に関する研究史整理や、河原田の知識の特色や作品について紹介した。本草学的特色と言えるかどうかについて議論をおこない、「本草学」的知識という概念の可能性など、出典と引用など知識の基盤についての実証研究(基礎情報の完備)が必要という合意を得た。分類方法・引用・実践という分析方法について議論をした。

(文責:高江洲昌哉)

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秋の南会津調査

日程:2014年11月13日(木)~11月16日(日)
調査先:南会津町旧河原田盛美家
参加者:高江洲昌哉、泉水英計、増田昭子、小野まさ子

[2014年11月]
・13日(木)挨拶および、資料の蔵出し・作業準備
・14日(金)9:00~17:00
 資料調査作業
(1)書簡資料の撮影
(2)書簡資料の調査
(3)沖縄関係モノ資料の調査
(4)写真資料の撮影
(5)河原田宗興氏から河原田盛美を中心とする河原田家に関する聞き取り調査
・15日(土)
 8:00~11:30 河原田盛美事績関連調査
(1)宮床堰碑
 河原田盛美が建設に尽力した宮床堰碑の現地調査及び堰建設者の子孫の家を訪問し、事績由来の確認などをおこなった
(宮床、馬場邦佐宅にておこなう)
(2)奥会津博物館南郷館
 河原田も栽培を推奨した麻栽培に関する資料などを見学することで、文字資料の理解および当地域の生活・産業構造の理解を深めた
(3)旧南会津郡役所
 河原田の活躍した時期の南会津郡の政治状況を確認した
 13:30~18:30 資料調査作業
 前日からの続きをおこなう

 [上段写真左から/家憲・家訓・家伝書(河原田家)、河原田盛美履歴一部(クリックにて拡大)]
 [下段写真左から/沖縄関係モノ資料調査、調査風景、調査前の準備作業]

(文責:高江洲昌哉)

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10月の南会津調査

日程:2014年10月30日(木)~10月31日(金)
調査先:南会津町旧河原田盛美家
参加者:高江洲昌哉、増田昭子

会議風景

 今回の出張は、8月に本調査班の研究テーマが国際常民文化研究機構の奨励研究として採択されたことを踏まえて、資料管理者へ今年度を含む2カ年間の調査協力の依頼と11月の作業を円滑に行うための予備調査をおこなった。あわせて河原田盛美が17歳の頃に著した『菊花手引草』を踏まえて(ちなみに、この書には明治24年に「北会津郡若松ニアル「キンマツバ」ト云フ黄菊ハ食シテ苦味ナク甘味アリテ味ヨロシ余カ庭園ニモ幼年ノ頃ニハ多クアリシカ今ハ村内ニモ一本モナクナリタリ」という欄外記入などがある)、河原田も食し愛でた会津産の食用菊の在来種の確認や『東山日記』記載の農業歴と植えつけ作物のデータをもとに、河原田家の畑地の確認や作物についての聞き取り調査をおこなった。
 [上部写真左から/秋の南会津、河原田家の蔵、会議風景、南会津町で咲いている食用菊(2014年10月撮影)]

(文責:高江洲昌哉)

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第1回会議

日程:2014年10月10日(金)
場所:神奈川大学横浜キャンパス 日本常民文化研究所
参加者:高江洲昌哉、増田昭子、泉水英計

(1)事務局との打ち合わせ
(①これまでの成果報告書を受け取る。②提出する書類の確認及び領収書の様式など書類に関する説明。③消耗品購入の最終確認。④研究補助者公募の依頼)。
(2)10月30日・31日の調査の打ち合わせ。11月13日~16日までの打ち合わせをおこなう。

(文責・高江洲昌哉)

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