共同研究

アチック・ミューゼアムの調査活動に関する基礎研究 「隠岐」調査の検証・分析と民俗学的考察

常民研資料調査・渋沢史料館打ち合わせ報告

日程:2017年3月4日(土)~3月5日(日)
調査先:神奈川大学日本常民文化研究所、渋沢史料館
参加者:小林光一郎、樫村賢二、木村裕樹、永井美穂

 小林、樫村、木村、永井は4日、神奈川大学日本常民文化研究所(以下、常民研)において、先日の櫻田勝徳資料と隠岐に関するアチック関係の報告書の確認を常民研にて行い、5日、渋沢史料館にて、当該研究の報告書についての打ち合わせを行った。
 前回の櫻田勝徳資料調査より懸案とした櫻田勝徳資料の翻刻並びに資料紹介については、班員の皆がこれを資料化することで一致し、急遽ではあるが、当該研究の報告に追加することが決まった。また、今回で、当該研究における実質的な最終の打ち合わせとなることから、資料編の執筆分担や執筆・翻刻等の作業期間の確認や、考察編の内容など、改めて各員が確認を行った。
 上記、櫻田勝徳資料を追加することによりさらに精度の高い資料集として、また、当該研究がアチックの隠岐調査「補遺」としての資料集となることを各員が再度自覚した調査・打ち合わせとなった。

(文責:小林光一郎)

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慶應義塾大学文学部古文書室櫻田勝徳資料調査報告

日程:2017年2月20日(月)
調査先:慶應義塾大学文学部古文書室
参加者:小林光一郎、永井美穂、羽毛田智幸

 慶應義塾大学文学部古文書室において、小林と永井、羽毛田は櫻田勝徳資料調査を行い、また、小林と永井は調査後、古文書室室長の柳田教授とも面会し櫻田資料の経緯などを伺った。
 今回の調査では、アチックの第一次・第二次隠岐調査の双方において参加した櫻田の隠岐に関する未発表資料や、渋沢敬三伝記編纂を企図した際の資料(「渋沢氏業績調べ」など)といった、これまでに目にすることがなかった資料の閲覧・撮影を行い、総じて、アチック研究史に関する有益な調査となった。
 隠岐に関する櫻田資料は、第一次隠岐調査(昭和9年5月)の資料であり第二次隠岐調査関連の資料は管見ながら見当たらなかった。これはおそらく、第二次隠岐調査はアチックにて報告が刊行されており、櫻田のフィールドノートや原稿などもアチックに提出したため、手元には残らなかったためだと考えられる。
 第一次隠岐調査の櫻田資料は、フィールドノートというよりもある程度の完成原稿であり、アチックにおいて第一次隠岐調査の報告を刊行しようとしたと考えられる。内容は、漁業を中心に、方言や語彙、第一次の島前・島後における旅程や民具の名称やもろもろの聞き書きなど、滞在時間が少ない中、その対象は多岐に亘っている。中でも、島前浦郷にて「糸満人」の話を聞いた際の聞き書きなど、第二次隠岐調査へと繋がる記述があり、第二次調査が安達和太郎のアチック来訪だけが契機だったのではなく第一次調査における「糸満人」の情報を知ったことにも由来し、「糸満人」が次の第二次調査へと繋がる契機の一つであったことがある程度裏付けられることとなった。
 この貴重な資料について、私見ではあるが、次の3月4、5日の打ち合わせにおいて、班員ともう一度この櫻田資料を熟覧し、翻刻や資料紹介といった何らかの形で発表できればと考えている。我々の基礎研究では、直接、アチックの研究史における大局を述べることはしないが、アチック研究史における隠岐調査の重要性を指摘できる段階にまで進展することができた調査となったといえよう。

(文責:小林光一郎)

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隠岐島後地域における牛突き習俗調査報告

日程:2017年1月7日(土)~1月10日(火)
調査先:島根県隠岐郡隠岐の島町
参加者:小林光一郎、樫村賢二

2017年初場所での牛突きの様子(隠岐の島町池田2017年1月8日) 共同牛舎にて(隠岐の島町突牛共同牛舎2017年1月9日)

■ 写真:2017年初場所での牛突きの様子(隠岐の島町池田2017年1月8日)、共同牛舎にて(隠岐の島町突牛共同牛舎2017年1月9日)

 隠岐島後地域において、小林と樫村は牛突き習俗調査を、隠岐の島町教育委員会副主任文化財調査員岩崎氏と共に行った。
アチックの第一次調査において、渋沢敬三ら調査に参加したメンバーは今の隠岐の島町原田周辺で牛突きを見ており、その様子はアチックフィルムに映されている。今回小林と樫村は牛突きの「初場所」見学のために来島したが、アチックが訪れた5月は特に牛突きにおける行事を行ってはおらず、敬三ら調査メンバーのためだけに特別に行ってくれた牛突きだったと考えられる。
 今回は初場所見学と牛突きに関する民具の調査、並びに、現在、牛突き用の「隠岐牛」を飼育、並びに食用牛の肥育農家でもある岩崎さんに聞き書き調査を行い、肥育・飼育に関わる道具、牛突きに関する道具を見せていただいた。
 第一次隠岐調査(昭和9年5月)において牛突きを見たアチックの関係者たちは、その後、昭和10年4月に新潟県古志郡二十村でも牛突きを見ており、牛突き自体がアチックの興味関心となった可能性が考えられる事例である。ちなみに昭和9年時点では牛突きに関する民具等の収集は行っておらず(牛に関するものでは、耕作用の「ハナズル」は同年5月25日に収集している【民博標本番号H0016649】)、第二次隠岐調査においての調査姿勢からも伺えるが、この時点では人々の生活や生業に関する調査・民具収集をメインに考えていた傾向にあり、牛突きに関する資料収集までは手がまわらなかったと考えられる。しかし、アチックの調査メンバーは牛突きを軽視したわけではなく、島における行事・習俗の一つとして捉えていたからこそ牛突きの映像を撮影していたと考えられ、今後、二十村の牛突きとの関係性も踏まえた上で、アチックにおける「牛突き」の位置づけが課題として表面化した調査となった。

(文責:小林光一郎)

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