共同研究

熊野水軍小山家文書の総合的研究

淡路島南東岸域調査

日程:2020年1月11日(土)~1月13日(月)
調査先:徳島城博物館(徳島県徳島市)・沼島(兵庫県南あわじ市)・洲本城(兵庫県洲本市)・
 由良古城(兵庫県洲本市)・諭鶴羽神社(兵庫県南あわじ市)
調査者:坂本亮太

  ■ 沼島遠景(土生港より臨む)  ■ 沼島より南の眺望(右手(西)にかすかに日御碕が見える)

梶原氏が建てたとされる沼島八幡宮

生石公園(由良)より加太・友ヶ島を望む

 1月11日(土)~13日(月)にかけて、熊野水軍とも関係の深い淡路島東南岸域の踏査を実施した。淡路島東南岸域は、中世段階では主に阿万荘にあたり、水軍領主(「阿万水軍」)の活動が見られる地域として注目されてきた(戸田芳実「中世南海の水軍領主」『初期中世社会史の研究』東京大学出版会、1991年)。また、淡路島東南海上にある沼島も、戦国期には「沼島水軍」とも呼ばれる梶原氏が根拠地として活動していた(佐藤和夫『日本中世水軍の研究』錦正社、1993年)。しかもこれらの地域は、戦国期には淡路安宅氏の勢力圏にあたり、その城郭群も立地する。今回の踏査は、これら水軍領主の拠点と活動、あわせて紀伊と淡路との関係性を実地に確認するために実施したものである。
 初日は、徳島市立徳島城博物館で開催されていた企画展「阿波の水軍」の見学を行い、また記念講演会に参加した。森水軍の戦国~近世にかけての動態、さらに阿波北部沿岸域の港に関わる状況等を知ることができた。
 2日目は沼島に渡り、島内を踏査した。日置川流域を本拠とした熊野水軍安宅氏は、「沼島以下海賊退治」を足利義詮より命じられている(安宅家文書)。その沼島を拠点にした水軍領主が梶原氏である。梶原氏は紀伊国有田郡にもいた国人で、「梶原海賊」とも表れ(「大乗院寺社雑事記」)、戦国期には後北条氏の水軍の主力となって活躍した(真鍋淳哉『戦国江戸湾の海賊』戎光祥出版、2018年など)。梶原氏に関わる寺社(神宮寺・沼島八幡宮)・石造物(梶原五輪塔)の踏査・確認を行った。あわせて、曇天ではあったが、日御碕(和歌山県美浜町)から加太・友ヶ島(和歌山市)を臨めることも実地で確認した。
 3日目は、淡路安宅氏が築いたとされる洲本城の踏査を行った(ただし安宅氏時代の遺構はほとんど残らない)。また、淡路安宅氏が淡路で最初に拠点とした城郭とされる由良古城の踏査を実施した。あわせて生石公園(由良要塞跡)へ行き、中世紀伊水道と大阪湾とを繋ぐ中継港であったとされる由良港、さらには紀伊水道の眺望の確認をした。
 そのほか熊野と密接に関わり、沼島とも指呼の位置にある諭鶴羽神社へ行った。熊野権現は、九州の英彦山(福岡県)・四国の石鎚山(愛媛県)・淡路の諭鶴羽山を経て、紀伊の切目(和歌山県印南町)、新宮神蔵峯(和歌山県新宮市)、石淵(三重県紀宝町)に次々と天降り、最後に本宮で熊野三所権現として垂迹したとされる(「熊野権現垂迹縁起」)。今回の踏査により、淡路島東南岸域が紀伊国と関わりが深いことを改めて知ることができるとともに、眺望などを中心に紀伊と淡路との近さをも確認することができた。

(文責:坂本亮太)

淡路島南東岸域調査

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