共同研究

1-3.環太平洋海域における伝統的造船技術の比較研究

調査(奄美・トカラ) 【船の運用方法の変遷について】

日程: 2011年 9月10日(土) - 9月20日(火)
実施地: 奄美市笠利町/龍郷町/十島村小宝島・平島・悪石島
実施者: 板井 英伸

 今回の調査は、台風14・15号のため、船便に欠航・経路変更が相次ぎ、トカラ列島での調査はほとんどできなかった。11月末~12月初旬に再調査を予定している。さしあたり、ここでは今回、調査ができた奄美大島・笠利町用集落、龍郷町円集落での船の利用方法について、これまでの調査も踏まえつつ概説しておきたい。
 まず、両集落ともにサンゴ礁のリーフに囲まれた浅水域に面しているが、その内側をみると、用集落では水深が総じて浅く、円集落ではやや深くなっている。後者には干潮時でも人の背が立たない箇所が多い。また、両集落ではリーフ外の海底地形が大きく異なっており、用集落では緩やかに深くなっているが、円集落では急激に深くなっている。そのためか、用集落で船を使用する住民は少なく、ほとんどの場合、干潮時に徒歩でリーフエッジまで行き、釣りや貝、海藻類を採取し、あるいは潜水による採取・突き漁を行う場合が多い。反面、円集落ではリーフ外に船を出し、ホロビキと呼ばれるカツオ・マグロの引き縄漁や、ムロアジ類の網漁など、潮流を利用した比較的、規模の大きい漁法が行われており、用集落に比べ、船の数も多く、各船の船体も大きくなっている。
 円集落には岸壁を備えた港が整備されているが、用集落にはそうした設備・施設は一切なく、そうしたインフラの整備状況がこうした差異の原因になっているかとも思われたが、聞き取りから判断するに、港湾整備以前、少なくとも明治期末~大正期の初頭には、この差異はすでに見られたようである。昭和期前半までの用集落では船の数は全世帯で4~5艘しかなく、ごく少なく、かつ小型であり、円集落ではアイノコと呼ばれる準構造船がほぼ2世帯に1艘の割合で使われていたが、同じ島の中でも、海岸・海底の地形や潮流に応じた漁法の違いにより、船が使い分けられていたことが分かる。

(板井 英伸)

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海外調査(ロシア) 【 北方船の元となる大陸の造船技術をロシアのブリヤートに学ぶ 】

日程: 2011年7月15日(金)~7月22日(金)  
場所: ロシア連邦イルクーツク州イルクーツク
実施者: 赤羽正春

1 イルクーツク州アリャタ村のオモロチカ
 草原の民であるブリヤート人は牛や馬・羊を飼う牧畜の民であると考えがちであるが、集落は低湿の水辺にあり、丸木舟(オモロチカ)を駆って魚を捕り調理して食膳に載せている。舟は単純な作りの丸木舟であるが、北方船の技術が凝縮されたものであった。

ブリヤートのオモロチカ

 ① 舳先と艫が共に尖る両頭式平面船形を取る。シングルブレードパドルはダブルブレードパドルに移行する直前のもので、片側棹としてブレードを付けないで置き、片側だけを水掻きにしている。操船は立位が多いが、座位で行うこともある。その場合、3mを超える片側に刃のついた棹はダブルブレードパドルのように操作し、刃のない棒先を水底に当てて船を進めている。そして、両頭式を取ることで水を船の中に入れないようにしているという証言に接した。つまり、パドルを漕ぐ方向が船側を孤の字に運航するため、平面長方形では掻いた水が入って船が沈んでしまうというのである。バイキング船からシベリアの舟まで、両頭式を取る理由に共通の技術的背景をみることができる。            
 ② 一人乗り5mを基準とする舟。「一人乗りのオモロチカは5mが最も使いやすいし、そのように作ってきた」という、ウデゲのアンドレイさんの証言は、ブリヤート人の間にもあった。舟はシベリア松の120年生のものから造る。末口よりも根元側が1mの直径であれば、船は造れる。しかも、全長5mの舟に統一されていた。これが一人で漕いで操船するには最も使いやすいというのである。シベリアのオモロチカに5mを一人乗りの舟の基準とする思惟があるようだ。造船には日本でいう丸チョウナを使用。造船工程は日本のそれとほとんど同じである。丸チョウナ・ドシンクは、大陸に広く分布としている。木を刳る時の技術は同じなのであろう。

写真上: ブリヤートのオモロチカ

2 バイカル湖の漁船
 バイカル湖の漁船は全長6㍍20㌢。平面両頭式で板の合わせ方はクリンカー。典型的な北方船でシベリア型と私が名づけた形である。
                                           
 ① 船底材を優先した造船で、ここから側板を鎧張りに建ち上げていく。北欧のバイキング船とシベリア型との違いを如実に示しているのが、バイキング船がキールを主体に船を構成するのに対し、シベリア型は船底材を据えた後に鎧張りを建ち上げる、ということである。ブリヤートの板船も船底材を中心に作っているものがあった。                                                
 ② 両頭式船形は、ここでも踏襲され、パドルを掻く際に、邪魔なものがないように船側を弧の字型に曲げていることが分かった。 (赤羽正春)

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調査(沖縄) 【 奄美大島・トカラ列島の造船技術 】

日程: 2011年5月19日(木) ~ 29日(日)
実施地: 奄美市住用町・笠利町/十島村中之島・小宝島・平島・悪石島
実施者: 板井 英伸

 台風2号の影響のため、今回も全日程を予定通りに終えることができなかったが、まず奄美大島では、住用町の原野農芸博物館所蔵の船関係資料のうち、前回、確認できなかった模型類の無事を確認できた。また、笠利町では住民の漁労、とくに女性の活動につき、詳細に聞き取りをすることができた。反面、トカラ列島では予定していた島じまのうち、平島と悪石島には今回も上陸できず、現地住民に依頼して漁船の写真を提供してもらえるよう、手配するにとどまった。
 中之島、小宝島においては予定通りの調査が実施でき、とくに小宝島にある丸木舟の製作者について、詳しく話を聞くことができた。同情報については、急遽、訪問した鹿児島市において、市内在住のトカラ出身者に面会でき、裏づけが得られたことは収穫であった。同様に、鹿児島県歴史資料センター黎明館においても、所蔵のトカラの丸木舟の写真について、新たな写真の提供を受けられた。  (板井 英伸)

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平成22年度 第2回共同研究会

日程: 2011年2月24日(木)~ 2月25日(金)
場所: 神奈川大学常民文化研究所
参加者: 後藤 明、昆 政明、赤羽正春、板井英伸、洲澤育範、門田修、宮澤京子、川田順造

 参加者全員で今年度の成果と来年度の調査予定を討論した。
 板井はトカラ列島における二度の調査と、2月に行った奄美の原野博物館での状況経過について報告。原野はさきの大雨で船を含む資料が大打撃を受けた状況、復興の見込みについて報告。
 赤羽は今年度のアムール川調査に続けて来年度はバイカル湖を調査する計画を提示。昆は昨年12月のシンポジウムに続いて、絵図から廻漕の身体技法を追究する計画、
 洲澤は今年度のカヤック計測に続き、来年度はアラスカにてイヌイットのカヤック作りを実地調査、門田はバヌアツのカヌー映像を提示し、来年度は宮澤とともにフィジーおよびニューギニア東南部の調査予定。
 川田は今年度山形県最上川の大石田調査の報告、来年度はさらに新潟県海岸を調査、そして比較の視点から南西諸島にも視野を広げる計画である。後藤は沖縄海洋文化館で大型カヌーの3D計測の状況を説明、来年度はオセアニアのカヌー復興の脈絡で海洋文化館の資料復元作業に尽力する計画である。  (後藤 明)

ホームステー先、ウデゲのアンドレイさん宅 ウデゲの皮を鞣す道具

【赤羽正春 報告資料】
左: ホームステー先、ウデゲのアンドレイさん宅
右: ウデゲの皮を鞣す道具

沖縄にてサバニ帆漕調査 (2010年7月) アラスカのコッツビュー様式のウミアク制作 (2011年12月調査予定)

【洲澤育範 報告資料】
左: 沖縄にてサバニ帆漕調査 (2010年7月)
右: アラスカのコッツビュー様式のウミアク制作 (2011年12月調査予定)

最上川大石田河岸の裏 私立の『桜桂館』内部の展示

大石田の街路に、実物が露天展示されている、明治の小鵜飼舟に付けられた説明書

【川田順造 報告資料】
左上: 廻船問屋の船主が軒を連ねていた、最上川大石田河岸の裏。左側には、修復された河岸の荷蔵が連なって見える。街道沿いの船主の邸・倉庫の裏手と河岸を直接結ぶ石段は、この写真のように、まだところどころに遺っている。
右上: 貴重な実物展示を含む、匠の町、水運の町としての大石田を紹介する優れた展示を行っている、
私立の『桜桂館』内部の展示状況を示す。
右下: 大石田の街路に、実物が露天展示されている、明治の小鵜飼舟に付けられた説明書。
最上川水運における小鵜飼舟の役割が、簡潔明快に述べられている。
(以上3点、2010年8月27~30日、川田順造撮影)

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海外調査(カンボジア) 【アンコールワット・バイヨン】

日程: 2011年 2月9日(水)~2月14日(月)
実施地: カンボジア・アンコールワット
実施者: 深澤 芳樹

 カンボジアには、石造建造物が点在する。この内、世界文化遺跡に登録されているアンコールワットとバイヨンには、写実的な壁画が数多くあり、特に回廊部分には各種の船舶が彫刻されている。この中には綱を打つ小型の漁船、王が乗船する船、さらには軍船まであって、多様である。そして細部まで丁寧に彫ってあり、構造を考える上で貴重である。これらは12世紀中頃~後半に位置づけられる。
 また現地で出土船についての情報を得た。これについては目下、詳細を調査中である。 (深澤 芳樹)

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調査(奄美市) 【 原野農芸博物館所蔵の奄美・沖縄関連海事資料の豪雨被害状況について / トカラ列島における丸木舟の建造・運用方法について 】

日程: 2011年 1月20日 (木) - 1月 30日 (日) 
実施地: 奄美市住用町・笠利町/十島村中之島・小宝島 
実施者: 板井 英伸

 1934(昭和9)年、渋沢敬三らのアチック調査団撮影の写真のうち、マルキブネ、イタツケ等が写っているものを選び、その建造方法及び運用方法について、トカラ列島小宝島、中之島住民からの聞き取り調査を行った。
 また、被写体の中に沖縄から出漁中の漁民、漁船があり、昭和期前半の沖縄漁民の活動状況につき、貴重な証言を得ることができた。小宝島、中之島で各3名が調査に応じてくれた。

小宝島のマルキブネ

 くわえて、小宝島にて保存されているマルキブネについて、その来歴についても聞き取り調査を行った。製作者の特定にはいま少し疑問が残るが、おおむね明らかにできた。 (写真右: 小宝島のマルキブネ
 奄美大島においては、今回は奄美市住用町にある原野農芸博物館所蔵の奄美・沖縄関連の海事資料(実船・模型)について、昨年10月20日の豪雨被害の状況を確認した。実船に関しては多少の破損は見られるものの、おおむね無事であったが、模型に関しては、収蔵庫、展示室の破壊状況がすさまじく、所在も不明のままである。
 また、奄美市笠利町用集落、龍郷町円集落においては、それぞれ冬季の漁撈、漁業について、それぞれ聞き取り調査を行った。(板井英伸)


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海外調査(ハワイ) 【 ハワイにおけるアウトリガー・カヌー文化の調査 】

日程 : 平成23年1月9日(日)~1月16日(日)
訪問先: ハワイ(ビショップ博物館・ハワイ大学)
実施者: 石村 智

 本調査では、ハワイのビショップ博物館に収蔵されているカヌー資料およびカヌー模型資料の調査をおこなった。またハワイ大学においてオセアニアのカヌー関連の文献調査をおこなった。さらにハワイにおけるカヌー文化の復興運動についての予備的な調査をおこなった。
 ビショップ博物館では、収蔵庫に収納されているカヌー資料の調査をおこなった。10数点のカヌー資料が収蔵されていることを確認したが、いずれも収蔵スペースの都合上、アウトリガー・腕木・帆などの各部位を分解した状態で収納されており、完全な状態で記録・写真撮影・実測をおこなうことが困難であることが判明した。今回の調査では、ひとまず所蔵されている資料についての簡単な調書を作成し、今後の本格的な調査に向けての予備的な作業にとどめた。なお、完形のカヌー資料は、常設展に1点、別の場所に1点存在することを確認した。また、ビショップ博物館には300点余りのカヌー模型資料が収蔵されており、いずれも良好な状態で保管されていることを確認した。これらの資料は1930~50年代にオセアニア各地で収集されたものが主体であり、歴史資料としても重要な価値を持つと考える。今回は悉皆調査をする時間的余裕がなかったので、ビショップ博物館のご好意により一覧表をいただき、いくつかのものについて調書を作成するにとどめた。
 ハワイ大学はオセアニアの考古学・人類学の中心的研究施設であり、図書館には関連文献が網羅されている。今回は図書館で文献調査をおこない、加えていくつかのカヌー関連の書籍・出版物を購入した。
 またハワイでは近年、ホクレア号に代表されるようにカヌー文化の復興運動が盛んであり、それに関連した予備的調査をおこなった。今日のハワイではカヌーはスポーツのひとつとして広く受け入れられており、平日の夕方や休日には様々なカヌー・クラブがカヌーの練習をおこなっている。それに使用されるカヌーのタイプのほとんどは、形態的にはアウトリガー・カヌーおよびダブル・カヌーであるが、FRPや合板などの現代的素材によって作られている。さらにそれらアウトリガー・カヌーの型式は、ハワイの伝統的な様式の特徴である腕木とアウトリガーを直接接合する型式を踏襲しており、オセアニアの他地域で一般的な腕木とアウトリガーの間にペグを挟む型式のものは確認されなかった。(石村 智)

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