共同研究

3-1.アジア祭祀芸能の比較研究

— 共同研究者の連携強化に関わる第4回国際シンポジウムの参加報告 —

日程: 2012年 12 月9日(日)
    公開研究会 ミンゾク研究の光と影—近代日本の異文化体験と学知—
場所: 神奈川大学横浜キャンパス
参加者: 鈴木正崇

 ~民族学と民俗学の相互連関~

  二つのミンゾク学について考えさせられたことの第一は、民族学と民俗学の不均等性である。民族学はethnologyの翻訳として定着し、文化人類学というアメリカ風の呼称と共に国際的にも通用する学問名として流通しているのに対して、民俗学は日本における個性が強く作用して、英語のfolklore、ドイツ語のVolkskunde、中国語の民俗学などとの差異が大きく国際的に通用する学問名ではない。海外でfolkloreの名称を使えば、口頭伝承や口承文芸の類いに限定され、好事家のやるべきことで学問としては認めがたいと認識される。こうした風潮は改善される見込みはない。ましてや、比較民俗学という分野が成立することはありえない。しかし、そう言い切ってしまうと、活発に行われている「比較民俗研究会」を否定してしまうので、日本国内と海外での研究の方法は異なることを前提として、方便として使い続けることになるのだろう。しかし、海外の日本研究者と話していると、日本民俗学は日本をフィールドとする民族学であって、敢えて二つのミンゾク学に分ける理由はないとも思う。国内と海外の棲み分けの時代は終了して、相互に入り組んだ現状を認めるべきであろう。
  第二には日本の民族学を再帰的に考え直すことの必要性である。今回は二つのミンゾク学に関する国際シンポジウムといっても、明らかに民族学(文化人類学)に関する議論が主体であり、特に二日目は学説形成にあたっての政治性を論じる刺激的な発表とコメント、そして議論が展開した。学説史という分野をどう評価するかは難しいが、単なる想い出話ではなく、パラダイムの変革として社会・政治・経済との連動を考慮しつつ、人文社会科学の分野での学説の展開を「科学史」として捉える契機にはなったと思う。
  今後の課題としては、学統を整理し、岡正雄・石田英一郎の文化圏説、秋葉隆・泉靖一の機能主義、今西錦司・梅棹忠夫・川喜田二郎の生態学派、宇野圓空・古野清人の宗教学、松本信廣・三品彰英の比較神話学、坪井正五郎・鳥居龍蔵の総合人類学、移川子之蔵・馬淵東一・国分直一の台湾民族学など、幾つかの民族学の流れに整理した上で、戦前・戦中・戦後に分けて詳細に論じる必要性を強く感じた。民俗学に関して言えば、柳田國男との交流に止まらず、民俗学者を広く捉えて相互の交流の諸相を考察することや、戦前の民族学と民俗学の入り組んだ関係の検討も課題として残されている。 (鈴木 正崇)

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「アジア祭祀芸能の比較研究」グループ 成果発表会

テーマ: 「海を越えての交流-民俗、祭祀、芸能の面から-」
      主催: 機構共同研究 「アジア祭祀芸能の比較研究」グループ
      日時: 2012年9月15日(土) 09:30-16:30、 9月16日(日) 10:00-16:15
      場所: 神奈川大学横浜キャンパス 1号館308会議室

上記のとおり、グループの成果発表会が行われた(公開)。 詳細はこちらを参照のこと。

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海外調査(中国) 【 湖南省瑶族送船儀礼調査報告 】

日程: 2012年 3月 26日(月)~ 3月 31日(土) 
実施地: 中国湖南省永州市藍山県
実施者: 廣田律子、吉野晃、譚 静、三村 宜敬

03月26日 成田→上海→長沙
   27日 長沙→藍山県滙源郷
   28日 滙源郷 宗教職能者趙金付聞き書き調査
   29日 藍山県荊竹村 送船儀礼調査
   30日 藍山県滙源郷→長沙
   31日 長沙→上海→成田

藍山県荊竹村旧暦3月8日送船儀礼調査について

 荊竹村の寒鶏冲組と荊竹坪組で、年に1度春のこの時期に、六郎廟において除災招福を目的として行なわれる。趙金付及び盤保古の両宗教職能者が祭司を務める儀礼は六郎廟・霊官廟・土地廟・招壇土地廟・白公廟等において行なわれる廟祭を趙が担当する。一方同時進行で盤は楽隊香竜及び竜船を率い家々を回り除災を担当する。
 具体的に廟祭は祭壇上に線香・蝋燭・肉とあげ入り碗・酒5・水1・米が供物とされ、唱えごと・経典の読誦・卦具による占い・紙銭の焼化・罡歩・手訣等で進められる。
 経典『送瘟書乙本』の「送水用」及び「唱造船歌」の部分が読誦される。
 2つの組に属する30軒あまりの家々を回って行なわれる送船に用いられる香竜は、草を芯に稲わらを巻いて作られる胴体部3と稲わらを編んで竜の口を作り木の舌や角等を挿した頭部1、わらを編んだ尾部1からなり、竹の棒が挿されて5人で運ばれる。

 竜船は竹を編んで作り、胴体部分は家々から受け取る包み(とうもろこし殻・こうりゃん殻・〔米+産〕子殻・米殻・木炭)を入れられるように容器状になっていて上から鱗の描かれた紙が掛けられる。頭部と尾部も竹が編まれて作られ、頭部には稲わらの竜の口が香竜同様につけられている。
 ドラとシンバルの楽隊を先頭に竜船と香竜が列をなし家に赴く。まず香竜が家の入口正面の部屋に入って舞う。庁堂の正面の三廟大王を祀るとされる壁中央部下、祖先の祭壇の下、戸口及び外に置かれた竜船のところで紙銭が燃やされる。
 戸口外で盤保古が唱えごとを行ない、紙銭を丸めたものを2つ作る。1つは家族全員の魂魄を祖先が守ってくれるように家人に渡され祖先の祭壇に置かれる。もう1つは火災が起こったり病気がはやらないようにと竜船に入れられる。
 家人は竜船に穀物の殻と木炭を入れた包みを入れ、さらに竜船と共に運ばれるバケツにかまどの灰と水を入れ、香竜を運ぶ人に線香を渡して竜の胴体に挿してもらう。最後に扉が閉ざされ、盤保古が符(魁字)を描く。
 朝9時頃から始まった儀礼は、夕刻6時半頃に祭場を川べりに移し、川の中に薪が積み上げられ、火がかけられ、川べりで祭祀が行なわれる中、家々を回り終えた竜船と香竜が到着し、香竜がひと舞いした後、全て火にくべられ終了する。 (廣田 律子)

(写真はすべて筆者撮影)

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海外調査(韓国) 【 済州島海辺の神堂—蛇、龍王、海神の祭場 】

日程: 2012年3月23日(金)~3月28日(水)
実施地: 韓国済州島
実施者: 野村伸一、鈴木正崇

 済州島は現在、北部済州市と南部西帰浦市に分けられる。神堂(一般の呼称は堂<タン>)についていうと、済州市192、西帰浦市199、総数391が知られている(『불휘공』002여름、제주전통문화연구소,2009)。近代化とともに消失したものも当然ある。朝鮮朝においては「堂(タン)五百、寺(チョル)五百」ともいわれた。それが概数だとしても、さほど誇張したものではなかっただろう。この数多い堂(タン)のうち、今回は蛇神、龍王、海神、ヨンガムという鬼神をまつる海辺の神域を選んでみてまわった。堂(タン)の形態はさまざまである。自然石や岩(写真上段左)、岩と樹木(写真上段右)からなるものが多い。そのほか石の小祠(写真中段左)、また屋根を葺いた祠(写真中段右)(写真下段)なども少数だがみられる。

済州市旧左邑細花里ケッコハルマンダン(トンジッタン)。ここは諸種の男神、女神をまつる。しかし、神堂名が示唆するように女神が中心である。昼過ぎの訪問時、背後の海では海女たちが海に出て仕事をしていた。 西帰浦市大浦洞チャジャンコチ潜女(チャムニョ)ダン。龍王(女神)をまつる。済州島では龍王は女神が多い。

済州市翰京面高山里のケックリハルマンダン。女神をまつる。 済州市翰京面高山里の本郷、タンモギッタン全景。

タンモギッタン内部。この祭神は漂着した石の函から現れた蛇神。そののち神名は「四海龍神法聖龍宮丑日本郷」とされた。

 祭神は蛇神、龍王、海神と分かれるが、そのポンプリ(巫歌)をみると呼称こそ違え、根柢においては通じる。しかもその多くは女神である。済州島では神は通例ハルマンとよばれる。それは日常生活では、ハルモニ(おばあさん)を意味するが、神としてのハルマンには「始祖女神」の意味が込められている。そうした女神としての蛇神が江南、とくに古越系の民族のあいだに顕著だということ、それとのつながりはまだあまり認識されていない。済州島の蛇神祭祀は沖縄の君真物(きんまもん)、福建各地に濃厚な蛇神祭祀と関連させて考察すべきものである。蛇神祭祀だけでなく、水中孤魂の祭祀儀礼なども系譜的につながりを持つ。東シナ海地域の基層文化の一体性をより幅広く追求する必要がある。

 なお、今回、四日間で50ほどの堂(タン)をみた。いくつかの堂(タン)は供物もなく忘れられているようであったが、大半は白紙(焼紙、紙銭)、色布(神の衣服)酒、果物などを献じたあとがあった。済州島では潜嫂(チャムス、海女)、漁夫たちの信仰は生きている。 
 
 参考文献 
『제주신당조사』제주시권,제주전통문화연구소,2008
『제주신당조사』서귀포권,제주전통문화연구소,2009

(野村 伸一)

□ 写真 □
■上段左 済州市旧左邑細花里ケッコハルマンダン(トンジッタン)。ここは諸種の男神、女神をまつる。
しかし、神堂名が示唆するように女神が中心である。昼過ぎの訪問時、背後の海では海女たちが海に出て仕事をしていた。
■上段右 西帰浦市大浦洞チャジャンコチ潜女(チャムニョ)ダン。龍王(女神)をまつる。済州島では龍王は女神が多い。
■中段左  済州市翰京面高山里のケックリハルマンダン。女神をまつる。
■中段右 済州市翰京面高山里の本郷、タンモギッタン全景。
■下段 タンモギッタン内部。この祭神は漂着した石の函から現れた蛇神。そののち神名は「四海龍神法聖龍宮丑日本郷」とされた。
(すべて筆者撮影)

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調査(インドネシア) 【 バリ南部の漁業関連祭祀およびバロン・ランドゥン儀礼 】

日程: 2012年 3月 6日 (火)~ 3月 15日(木) 
実施地: インドネシア共和国バリ州デンパサール市
実施者: 皆川厚一

 今回の調査は、中国福建省泉州調査(2010)、韓国全羅北道蝟島調査(2012)の結果に基づき、東南アジアで祭祀芸能が極めて発達していることで知られるインドネシア、バリ島における各種祭祀の、東アジアとの関連の有無、その比較を意図したものである。主としてバリ島の文化の中にある「中国からの影響」を意識して調査した。
 ターゲットとしてはバリ=ヒンドゥ教の中で頻繁に用いられる中国銭ウアン・ケペンについての聞き取り調査、及び文献検索。今ひとつのターゲットは「バロン」という想像上の動物をかたどったトーテムのなかに人間型のものがあり、その中に中国人の血を引くと地元で語り継がれるバロン・ランドゥン(画像左下)について、やはり聞き取り調査、実際の儀礼の調査を行った。
 また漁業に関する祭祀、芸能についての聞き取り、実地調査をデンパサール南部のクドンガナン村にて行った(画像右下)。  (皆川 厚一)

バロン・ランドゥン(右から2番目の白い顔が中国人の血を引くバロンといわれる) クドンガナン村の漁師(引き潮のマングローブ林を抜け漁船置き場に出るところ)

写真左: バロン・ランドゥン(右から2番目の白い顔が中国人の血を引くバロンといわれる)
写真右: クドンガナン村の漁師(引き潮のマングローブ林を抜け漁船置き場に出るところ)
(2点ともに筆者撮影)

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調査(韓国蝟島) 【 海の民俗伝承—龍王祭祀 】

日程: 2012年1月23日(火)~1月27日(金)
実施地: 韓国蝟島
参加者: 野村伸一、廣田律子、星野絋、鈴木正崇、皆川厚一、小川直之、田耕旭、金容儀、李京燁、李徳雨、三村宜敬

1/24 水聖堂見学。
   鎮里堂祭調査。
   大里の展示館等見学事前調査。

1/25 大里堂祭調査、終日。午前中、都祭峰山頂の願堂にて願堂際。午後、大里の村域を農楽ではやし、巡り、のち、海辺で龍王クッ。これは水中孤魂を招き慰労し、同時に龍王を招請して豊漁と海上安全を祈る祭儀。龍王クッのあとで、船で海上に出て、模造の茅船(ティベ)を流す(画像下左・右参照)。

龍王クッ 模造の茅船(ティベ)

1/26 全羅北道牛東里の神樹見学。
   全南大学校アジア文化研究所にて研究会。主題「アジア祭祀芸能の比較研究」(午後3時~6時)。全南大学校アジア文化研究所長千得琰氏の挨拶。発表、三名、野村伸一、廣田律子、田耕旭。コメント、質疑あり。 (野村 伸一)

画像上左: 龍王クッ
画像上右: 模造の茅船(ティベ)

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