共同研究

1-1.漁場利用の比較研究

調査(和歌山) 【 『前川家コレクション』にみるカナダ日本人漁業史 】

日程: 2011年12 月23日(金) ~ 2011 年12月 25 日(日 )
訪問先: 和歌山県串本町 (個人宅)
実施者: 河原典史

ユクルーレットでトリーロング漁業(一本釣漁業)に携わる前川佐一郎(『前川家コレクション』)

 和歌山県古田(現在の串本町)出身の前川勘蔵(1882年生まれ。以下、敬称略)は、1899年にカナダ西岸のBC州に位置するスティーブストンへ渡った。その後、新しい漁場の発見によって、スティーブストンからバンクーバー島西岸のユクルーレットに移住した勘蔵は日本人漁業組合の組織を提案し、1924に創立されたユクルーレット日系漁業組合の初代会長に就任した。カナダ資本から逃れ、新しい流通販路を探求したこの日系漁業組合の活動は、カナダ漁業史においても特筆されるべき史実である。
 勘蔵とその長男・佐一郎(1915年生まれ)は、当時の日本人の生業を捉えた多くの写真を残している。さらに、前述の組合や1926年に創立されたユクルーレット日本語学校に関する記録なども伝えている。とりわけ、佐一郎が父・勘蔵の活動を記した手記『無名の戦士』からは、当時の漁業の様子を詳細に知ることができる。そして、1923年にスティーブストンで生まれ、現在では和歌山県串本町へ戻った勘蔵の長女は、父兄が残したこれら約630点の資料を所蔵している。調査者は、いわゆる『前川家コレクション』の整理とデジタル保存を任される機会を得た。
 今回の調査では借用していた資料の返却、ならびにコレクションを活用した拙稿『『前川家コレクション』にみる女性と子供たち—カナダ・バンクーバー島西岸の日本人—』、京都民俗28、2011の報告を行った。そして、精査中である漁場利用について、関係者からの聞き取り調査を試みた。行政文書、オーラルデータに過大に依存してきたカナダ移民史研究に対して、『前川家コレクション』からの検討は今後の日本人漁業史研究へ大きく関与できるだろう。 (河原典史)

写真:ユクルーレットでトリーロング漁業(一本釣漁業)に携わる前川佐一郎(『前川家コレクション』)

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調査(横須賀市) 【 磯漁地帯の漁場利用 】

日程: 2011年12月24日(土)~12月26日(月)
実施地: 横須賀市佐島
実施者: 安室 知
 
 夏のモグリ(裸潜水漁)と冬のミツヅキ(見突き漁)を組み合わせて生計活動の基幹とする磯漁地域では、キワ(際)と呼ぶ水深20メートル以浅の海域は漁場として重要な意味を持つ。そのため、漁撈活動を通してキワは多様に民俗分類されている。横須賀市佐島において、磯漁地帯における海底微地形の民俗的認識について、その分類と命名の仕方を中心に調査した。 (安室 知)

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1-2.「日本列島周辺海域における水産史に関する総合的研究」グループとの連携研究会

日程:2011 年9月 25日 (日)
場所:東京海洋大学海洋工学部越中島キャンパス
参加者:田和正孝、河原典史、若林良和、安室知、橋村修 および
      1-2.グループより伊藤康宏、田島佳也、中野泰、森脇孝広、片岡千賀之、小岩信竹、中居裕、橋村修

 9月25日、東京海洋大学海洋工学部越中島会館にて、初めての試みとして、「日本列島周辺海域における水産史に関する総合的研究」グループ(代表:伊藤康宏島根大学教授、以下、伊藤班と略)との連携研究会を実施した。
 当日は、伊藤班から、中野泰氏の報告「占領期のフィールドワーク—民間情報教育局(CIE)におけるfishery system & attitude survey を中心に—」、田和班から安室知「磯漁における海岸微地形の分類と命名—漁場利用の民族技術誌」、河原典史「第二次世界大戦以前のカナダ西岸におけるサケ缶詰産業と日本人—"Fire Insurance Plan"と"Debits"からの検討—」の報告があり、発表の後、討論した。

連携研究会会場にて(中野報告をめぐって討論がなされている)

 中野報告では漁業制度改革をめぐって、アメリカ側がとった措置について精査、解明するとともに、日本の研究者、とくに民俗学者がいかに関わったかが析出された。桜田勝徳のポジションなどがきわめて重要であることがわかった。内容はさることながら、近代史的研究における史・資料の精緻な使用法など、田和班における研究活動にも大いに参考になった。
 安室報告では、自身が20年以上にわたる横須賀市佐島におけるフィールドワークの成果をもとに、いわゆる「海付きの村の生業空間」として、特にヤマ(ヤマアテ)という漁場認知の簡易三角測量技術をめぐって詳細な報告がなされた。3次元的な漁場空間の認知が技術論、身体論、さらには行動論的な分析に終わることなく展開するのは、村の生活を十分に調査し、熟知してきた安室の「分厚い民俗誌的記述」がベースにあるからである。討論では、そのことに対する高い評価を得た。他方、民俗誌的プレゼント(時代に関わる問題)が指摘された。
 河原報告では、火災保険地図の有効な利用方法が明示され、また従業員帳簿や移住者が残した日記がカナダ移民史、技術史の解明において有効であることが示され、それにもとづく様々な分析結果の提示があった。水産史を専門とする伊藤班のメンバーから活発な議論や提案があった。関係する文献の紹介なども得た。河原がまとめた塩漬けニシンの輸出先に関する表をめぐって、東アジアの戦前の水産物流通史に詳しい伊藤班の中居裕氏から当時の状況の補足説明、さらには質問とコメントがなされたことは、連携研究会にふさわしい成果であった。
 今回、連携研究会を開催できるにいたったのは、「日本列島水産史の総合的研究」グループの諸先生、特に開催に向けて様々な労をおとりくださった代表者の伊藤康宏氏のお蔭である。当日、素晴らしい会場をご提供くださった中居裕氏にも心よりお礼を申し上げたい。 (田和 正孝)

【 今回の研究報告 】
1-1.「魚場利用の比較研究」(田和班)
  ■ 安室報告「磯漁における海岸微地形の分類と命名」
  ■ 河原報告「第二次世界大戦以前のカナダ西岸におけるサケ缶詰産業と日本人—”Fire Insurance Plan”と”Debits”からの検討—」
1-2.「日本列島周辺海域における水産史に関する総合的研究」(伊藤班)
  ■ 中野報告「占領期のフィールドワーク─民間情報教育局(CIE)における fishery system & attitude surveyを中心に─」

1-2.「日本列島周辺海域における水産史に関する総合的研究」グループの報告ページ

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海外調査(カナダBC州) 【 漁場利用とキャナリー(缶詰工場)の立地条件について② 】

日程: 2011年8月19日(金 ) ~ 2011 年9月2日(金)
実施地: カナダ日系博物館、ブリティッシュ・コロンビア大学、バンクーバー日本語学校など
実施者: 河原典史

ギャリー・ポイントにある漁業者の慰霊碑

 ブリティッシュ・コロンビア州のフレーザー川河口に位置するスティーブストンは、かつて操業していたキャナリー(サケ缶詰工場)の諸施設を活用した観光地へと様変わりしている。河川上の杭上家屋であったキャナリーのなかには、博物館やレストランとして改築・再利用されているものもある。それらを遠望する河口先端近くのギャリー・ポイントには、高さ約10mの記念塔がある。ナイフのようにとがった先端と中央に溝のある板状のモニュメントは、漁網針(Needle)である。台座部分にサケのレリーフが刻まれたこのモニュメントは、同州沿岸での操業中に不慮の事故にあって落命した漁業者の慰霊碑である。(写真左) 1900年~1996年に亡くなった約100名の死亡者と漁船名が刻まれた碑銘を読み解くと、白人だけではなく日本人(日系人)のものも少なくない。これに刻まれた漁船者をみると、Star of Adolia(アドリアの星)からはイタリア系移民の存在がうかがえる。そして、Honky Maru(警笛丸)のように漁船名の末尾に「丸」が付く極めて日本的な命名は、漁撈・漁業技術以外の文化的な要素も移動したことが推察される。
 やや上流部には、当時の様子を留める旧スコッチ・キャナリーの諸施設が現存する。いわゆる、産業遺跡としての工場や造船所だけでなく、ネイティブ・インディアン、中国人や日本人の住居とともに、いくつかの漁業関連施設も残されている。ブリティッシュ・コロンビア大学所蔵のFire Insurance Plan(火災保険図)の描写からも考察すると、刺網漁業用の漁網乾燥場(Net Rack)は一定以上の広さからなり、そこには屋根がなかったようである。サケ漁の繁忙期である6月から9月が乾季にあたるため、漁網乾燥には支障がなかったのである。 (河原典史)

写真: ギャリー・ポイントにある漁業者の慰霊碑(撮影:河原典史)

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調査(沖縄) 【宮古海域におけるパヤオ投入作業とパヤオに関する地域イベント】

日程: 2011年 8月28日(日) ~ 8月31日(水)     
実施地: 沖縄県立図書館(那覇市)、宮古島市役所&伊良部漁協(宮古島市)
実施者: 若林 良和

 今回の調査は、これまでの調査(2009年12月、2010年7月、2010年12月、2011年3月の4回)成果を踏まえ、パヤオ・パヤオ漁業に関わる補充と追加の調査であった。今回の目的は、①パヤオ投入作業に関わる地域対応の実態把握、②パヤオに関する地域イベントの実態把握の2つである。

佐良浜港での表層パヤオ搭載作業(撮影:伊良部漁協)

 まず、①については、前回の調査(2011年3月)で、2基のパヤオ(漂着したパヤオ(所有者の沖縄県糸満漁協が転用了承済み)を再利用した表層パヤオ、伊良部漁協小型漁船船主会が自主製作した中層パヤオ)の投入・設置に立会い、船上で参与観察を行う予定であった。しかし、前回の調査では、波浪が高かったために、その投入・設置の参与観察を断念せざるを得なかった。そのフォローとして、パヤオの製作体制・方法を再確認した上、その投入・設置方法を把握した。設置作業は、同船主会のメンバーを中心に伊良部漁協など水産関係団体も協力し、運搬用台船とクレーンを使用するほどの大がかりなものであった。(写真左参照)

伊良部漁協での「パヤオの日」記念式典(撮影:伊良部漁協)

 それから、②については、「パヤオ漁業発祥の地・伊良部」を標榜する伊良部漁協を中心に、水産振興・地域活性化のためのイベントとして、パヤオ祭りが開催されている。これは宮古地区パヤオ管理運営委員会主催で、今年2011年で5度目を向え、佐良浜地区の漁業者をはじめ地域住民の夏の代表的なイベントになっている。8月19日(当初は「パヤオの日」8月8日に開催予定であったが、台風のために順延)には伊良部漁協で「パヤオの日」式典があり、ハマフエフキ(タマン)の稚魚放流、釣り大会表彰式、カラオケ懇親会が行なわれた。(写真右参照) そして、同月21日に、パヤオの周知と水産物の消費拡大を目的に、宮古島漁協の荷川取漁港でパヤオ祭りが開催され、カツオやマグロなど地元産水産物の販売、パヤオ乗船体験、モズク流し、タマンの稚魚放流などが行なわれた。このように、パヤオ・パヤオ漁業は地域資源としての社会的な役割も保持している。 (若林 良和)


写真左上: 佐良浜港での表層パヤオ搭載作業(撮影:伊良部漁協)
写真右下: 伊良部漁協での「パヤオの日」記念式典(撮影:伊良部漁協)

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調査(佐賀県) 【 鹿島市七浦嘉瀬ノ浦のイシアバ 】

日程: 2011年8月1日~2日
実施地: 佐賀県鹿島市七浦嘉瀬ノ浦
実施者: 田和正孝

 七浦嘉瀬ノ浦においてかつてみられた石干見について、聞き取り調査をおこなうとともに、海岸部における石干見跡を確認した。その結果、本地域では、イシアバと称する石積みが1970年代まで残っており、農業者が利用していたことが明らかとなった。イシアバは開口型で、そこにサデアミと称する長さ3メートルほどの目合の細かな袋網を敷設してアミを漁獲した。品質の良い大型のマアミは干アミ、アミ漬け(塩辛)として貴重な食料となった。やや小型で品質的には劣るゴアミは、大漁時、畑の肥料としても利用されたという。イシアバについては、民俗報告書、市史類などにも若干の記述があるが、その内容はとぼしく、今回、かつての所有者の孫にあたるインフォーマントから情報を得られたことは収穫であった。  (田和 正孝)

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資料調査(栃木) 【 那珂川中上流域の漁場利用 】

日程: 2011年5月3日(火)
訪問先: 栃木県立博物館
実施者: 安室 知

 那珂川中上流域の漁場利用の特性とそこで用いられる漁撈用具について博物館資料を中心に調査した。また、栃木県立博物館の特別展示に関連して行われた講演「那珂川の漁撈」を参観した。
 その結果、那珂川では、中上流域に特徴的な漁法として、ウグイのセツキ漁とサケのカギ漁が行われていることがわかった。ウグイ、サケともに、遡河性の魚類であり、そうした魚類の産卵習性をうまく利用したものであることに特徴がある。  (安室 知)

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調査(沖縄) 【 宮古海域におけるパヤオ製作と漁場利用 】

日程: 2011年  3月  26日(土)~ 3月 29日(火) 
訪問先: 沖縄県宮古島市(伊良部漁協、宮古島市役所)、那覇市(沖縄県立図書館)
実施者: 若林良和

再利用による表層型パヤオと伊良部漁協小型漁船船主会長I氏(佐良浜漁港にて):若林撮影

 今回の調査は、これまでの調査(2010年7月単独調査、12月共同調査)の成果を踏まえて、パヤオの製作状況と漁場利用状況に焦点を絞って調査を進めた。
 伊良部漁協(小型漁船船主会)では、同会会長のI氏をはじめ関係者に、パヤオ(本共同研究班で言うところの「現代型パヤオ」に相当する人工浮き魚礁FAD)の製作実態についてインタビューを行った。
 伊良部漁協では、現在、2基のパヤオを投入・設置する予定になっている。それらのうちの1基は、昨年12月の共同調査で取材した経緯があり、漂着したパヤオ本体(所有者の沖縄県糸満漁協が転用了承済み)を再利用した表層パヤオである(写真右上、および、本共同研究班の進捗状況および成果報告の2011.01.12調査(沖縄)を参照)。もう1基は、伊良部漁協小型漁船船主会が自ら製作した中層パヤオである(写真左下)。伊良部地区佐良浜は沖縄パヤオ発祥地で、先進地域であるとともに、漁協オリジナルで漁業者の自力でパヤオを制作できるノウハウを持っている。

自作の中層型パヤオと伊良部漁協小型漁船船主会長I氏(伊良部漁協倉庫にて):若林撮影

 今回の調査では、前者のパヤオに関する補足を行うとともに、後者のパヤオについて本格的に実施した。具体的には、パヤオ本体の製作体制、製作手順・方法、製作費用、投入・設置方法である。(なお、今回の調査では、上述したパヤオ2基の投入に関して船上で参与観察を行う予定であったが、波浪が高かったために出航できず、断念せざるを得なかった。)それから、宮古島市役所(水産課)では、パヤオ漁業に着手した当時の資料・写真を入手するとともに、当時の状況についてインタビューを行った。
 また、沖縄県立図書館では、沖縄県の漁業・パヤオ資料を収集した。  (若林良和)


写真上段より
・再利用による表層型パヤオと伊良部漁協小型漁船船主会長I氏(佐良浜漁港にて):若林撮影
・自作の中層型パヤオと伊良部漁協小型漁船船主会長I氏(伊良部漁協倉庫にて):若林撮影

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海外調査(台湾) 【 台湾におけるパヤオ漁業の実態把握(予備調査)】

日程: 2011年2月25日 (金)~3月2日(水)
訪問先: 中華民国行政院経済部(台北市)、国立台湾海洋大学(基隆市)、行政院農業委員会水産試験所沿近海資源研究中心・同委員会漁業署遠洋漁業開発中心(高雄市)など
実施者: 若林 良和

 今回の調査は、平成23年度の本調査に向けた予備的なものと位置付け、文献・資料やインタビューなどの情報データ収集を中心に行った。『漁業統計年報』をはじめとする生産統計、漁船統計などの基礎データを入手した上で、漁具・漁法、漁港、混獲問題、漁村文化に関する文献や資料などのデータを確保した。そして、本調査の主題であるパヤオ漁業の現況について、台湾政府によるパヤオの投入経過、設置状況、漁獲効果を把握した。(ここで言うところのパヤオは表層型・中層型の人工浮き漁礁(FAD)のことで、本共同研究班で議論した「現代型パヤオ」に相当する。)また、台湾漁船の労働事情・混乗状態についても情報を得た。
 パヤオに関して、今回の調査で得られたもののうち、とり急ぎ、現時点で整理できたものを簡潔に小括すると、次のようになる。①表層・中層型パヤオの投入は台湾政府主導で推進され、試験指導を経て、1998年から本格的に導入された。②投入海域は沿岸域6マイル内であり、沿岸漁業に大きく貢献している。③現在は、台湾南部の台湾海峡から太平洋海域にかけて、46基が設置されている。④台湾政府としては、水産資源の管理・保護の観点から、これ以上の増設する予定はない。⑤パヤオにおける漁法の主流は小型まき網漁法や延縄漁法であり、マグロやカツオ、カジキ、サメなどの回遊魚を漁獲対象としている。⑥集魚灯の使用など、漁業者間でのトラブルも見られる。⑦表層型・中層型パヤオの製造は高雄市で行われている。⑧台湾南部では5海区に区分され、それぞれの海区において管理規則「漁場営運管理辦法」が定められている。⑨日本と同様に、漁業者にとっては、経費節減、効率の良い漁獲が可能となり、漁家経営に貢献している。
 今回、得られた文献・資料、インタビュー記録の整理を進め、台湾におけるパヤオ漁業の現状について改めて詳細に報告する機会を設けるとともに、平成23年度に実施予定の本調査に資するデータとしたい。 (若林良和)


東港碼頭の延縄漁船(若林撮影) 東港碼頭に陸揚げされた冷凍サメ(若林撮影)

 写真1. 東港碼頭の延縄漁船(若林撮影)   写真2.東港碼頭に陸揚げされた冷凍サメ(若林撮影)

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海外調査(台湾) 【 台湾の伝統漁法石滬の保存と活用 】

日程:  2011年 3月 4日 (金)~ 3月 10 日(木)
実施地: 台湾澎湖列島(西嶼・吉貝嶼)、澎湖縣文化局など
実施者: 田和正孝

澎湖生活博物館

 2011年3月4日から10日まで1週間の予定で、台湾澎湖列島および台北市郊外淡水地区に石滬に関する調査に赴いた。
 澎湖列島では、5日に、まず馬公市に新設された澎湖生活博物館を訪ねた。農業・漁業文化の展示が数多くみられたが、なかでも石滬は伝統的な漁業文化として大きく取り扱われていた。原寸には程遠いが、かなり大きなサイズの石滬のサンプルが設けられており、捕魚部の構造などもわかりやすく理解できた。簡単な説明とともに魚叉、低竿仔、草鞋、装螺網袋、魚簍(竹網)などの補助漁具も展示されていた。同館売店にて、澎湖縣文化局が発行する石滬に関する書籍数点を入手することもできた。
 同日午後には澎湖縣政府文化局を訪ねた。許麗華展演芸術課課長にお世話になり、1999年に『澎湖的石滬』という石滬のデータベースをまとめた研究者洪國雄氏宅を訪ねることができた。洪氏からは、石滬研究の最前線ならびに石滬の休閒漁業(観光漁業)における活用について情報を得た。夕刻、干潮時刻を選んで、許課長の案内で西嶼小池角の石滬を観察した。小池角湾内に4、5基、赤馬西港側にも6、7基が現存しており、一部は現在でも漁具として使用されていた。しかし、すでに崩壊しているものもあり、こうした大規模な石積漁具を修築しながら保存し活用してゆく難しさを感じた。

吉貝漁港周辺

 6日、7日には1泊の予定で、列島最北端の吉貝嶼を15年ぶりに訪れた。本島は面積3.1km2、人口約1,500人の離島で、以前は小漁村にすぎなかったが、1990年代後半から海洋レジャーの基地として急速に観光化が進められた。吉貝漁港を取り巻くようにして大型のホテルや民宿が連なり、シーサイドは観光用に整備されている。6~9月の観光シーズンには、島は観光客であふれかえるという。
石滬は列島一集中しており、80基以上存在している。2005年には文化景観として保存の対象となるとともに、一層の活用が図られている。埋立地には吉貝石滬文化館という展示施設が設けられている。石滬を保存する団体が設立されており、説明書、研究書の発行のほか、石滬漁業を記録したビデオも販売されている。シーズンには観光客向けに体験漁業もおこなわれている。

吉貝嶼の石滬(滬房(捕魚部)部分)

 夕刻の干潮時刻を待って、漁港南西側の湾内にある内溝、沙滬仔などの石滬数基を巡った。海岸の岩石地形や火成岩、サンゴ礁石灰岩からなる積み石を確認し、伸脚(石滬の末端部分の石積み)や滬房(捕魚部)の構造も観察した。
 澎湖列島滞在最終日には、早朝、馬公市魚市場を訪れ、水揚げやセリの状況を観察した。
 9日には、台北市近郊の淡水地区を訪れた。淡水河口右岸は海洋観光施設として整備が著しい。淡水地区漁会の展示館にはかつての伝統漁法として、ボラ刺網、キビナゴ加工などがパネルを用いて展示されていた。同様に石滬も伝統漁法として説明があった。かつて石滬が造られていた沙崙海岸も訪れ、砂浜海岸、岩石海岸の状況、転石の形などを観察した。

吉貝石滬文化館(外壁部分のパネル展示)

台中の南投市中興新村にある国史館台湾文献館が所蔵する『台湾総督府公文類纂』のなかに1910年代の石滬漁業権申請書類が残されており、淡水地区の書類も含まれる。報告者は、それらの資料を利用して、当時の淡水の石滬所有について若干考察したことがある。当時の姿と約100年が経過し都市化・観光化した現代の淡水の景観とは比べようもないが、同じ場所に立てたことは、報告者にとってはたいへん感激であった。
 以上、短期間の台湾滞在であったが、有意義な調査旅行となった。澎湖列島における最近の石滬の研究と活用についてはあらためて報告する機会を設けたい。 (田和 正孝)

写真上段より
1.澎湖生活博物館
2.吉貝漁港周辺
3.吉貝嶼の石滬(滬房(捕魚部)部分)
4.吉貝石滬文化館(外壁部分のパネル展示)

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調査(横須賀市) 【 三浦半島東岸域における漁場利用と環境認識 ②】

日程: 2011年2月24日~27日
実施地: 横須賀市浦賀・走水・鴨居
実施者: 安室 知

 三浦半島東岸域は、西岸に比べると海底には岩礁地が少ないため、モグリのような裸潜水漁はおこなわれず、蛸壺漁や延縄漁といった釣り漁が盛んである。先におこなった西岸の民俗調査ではモグリ漁師が生業活動を通して磯根に関する詳細な認知地図を作り上げていることが明らかになったが、今回の東岸の調査では蛸壺漁師にはそうした詳細な磯根に関する民俗知識は存在しないこと、およびヤマアテの精度は延縄や蛸壺の仕掛け場所を特定できればよい程度のものであることが分かった。その理由のひとつとして東岸が東京内湾の穏やかな海域環境にあるためであると推測された。
 また、漁業者の有する観天望気の伝承については、とくに風の認識について、三浦半島の西岸と東岸とではまったく反対の評価が下される風が存在することがあきらかとなった。それは東岸と西岸とでは陸地の方向が異なることと東岸は対岸に房総半島を望むためであると推測された。 (安室 知)

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調査(横須賀市) 【 三浦半島西岸域における漁場利用と環境認識 ①】

日程: 2011年2月10日から13日(4日間)
実施地: 神奈川県横須賀市佐島・長井
実施者: 安室 知

 三浦半島西岸域においては、磯根のような岩礁地が発達しており、そこではモグリと呼ぶ裸潜水漁がおこなわれている。モグリ漁師は生業活動を通して磯根に関する詳細な認知地図を作り上げており、それはヤマアテや磯根地名に良く現れている。そうしたモグリ漁師の環境認識のあり方について、横須賀市佐島および長井の両地域において聞き取り調査をおこなった。 (安室 知)

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調査(沖縄) 【 沖縄宮古諸島におけるパヤオ(浮き漁礁)と石干見の漁場利用 】

日程: 2010年12月24日(金) ~ 12月26日(日)
実施地: 沖縄県宮古島市宮古島、伊良部島
参加者: 田和正孝、若林良和、河原典史、橋村修、安室知

 「漁場利用の比較研究」班全員参加による共同調査は、本班の若林班員の企画で宮古諸島の宮古島、伊良部島におけるパヤオ(浮き漁礁)と石干見の漁場利用調査を中心におこなわれた。また、宮古島の北端に位置する池間島では南洋へのカツオ出漁史という歴史的問題、伊良部島では尖閣諸島に出漁している漁業者への聞きとりというように、まさに現在生じている領海問題と漁場利用の関係というホットな話題についても調査することができた。以下では、調査の概要を紹介していく。
 12月24日の夕刻に、沖縄県宮古島市平良の宿泊先に集合し、共同研究班員と川上哲也宮古島市教育長、下地敏彦宮古島市長らと調査研究内容について打合せと意見交換をおこなった。

池間島のカツオ漁業記念のモニュメント(撮影:橋村修)

 12月25日早朝に宮古島市平良の宿泊先を出発し、川上哲也市教育長、仲宗根将二先生(宮古市史編纂委員会委員長)、沖縄県水産改良普及指導員の方の案内で池間島へ向かった。池間島に到着後、鰹節製造工場が集積していた区画を巡検し、現在も操業している工場(1軒のみが残る)で聞き取り調査をおこなった。さらに、池間集会所付近の広場で、集落の古老の方々(10数名)から、南洋諸島方面の島々へのカツオ漁業(指導)の経験などについて話をうかがい、ソロモン諸島などの現地の人々との関わりについて知ることができた。最後に池間地区のウタキ(御嶽)と遠見番所跡地(烽火台。魚見台にもなる)を見学し、池間島から狩俣地区へ移動、同地区東側の狩俣遠見番所跡地から、近年、復活が進められている石干見(魚垣(カツ)数基を眺望した。

伊良部島佐良浜のカツオ漁100周年記念碑(撮影:橋村修)

 午後、宮古島から伊良部島佐良浜へ渡り、伊良部漁協にて、友利義文漁協組合長、元小型漁船船主会長の漁師さんはじめ数名の方々、宮古島市農林水産課の方への聞き取り調査をおこなった。ここでは、カツオ漁業の歴史、パヤオ(浮き漁礁)漁場や尖閣諸島をはじめとした海域への伊良部島の漁師さんの出漁形態や漁法、1980年代前半からのパヤオ漁場の成立と展開過程に関する内容、伊良部島から海外への漁業移民の問題、魚名の問題、追い込み網アギヤーなどについて知ることができた。パヤオに関することで、1980年代前半の導入当初、竹を組み立てたパヤオを使っていたというお話はとても興味深く、1980年代からの浮き漁礁関連の書類を綴じた帳簿を閲覧できたことは幸運であった。この帳簿は、パヤオ漁場利用を知るための貴重な資料である。

陸上にあげられている浮き漁業パヤオ (伊良部島佐良浜港にて2010年12月 撮影:橋村修)

また、現在でも、パヤオ漁場から魚の少なくなる冬場を中心とした時季に尖閣諸島に出漁されている漁師さんのお話は、マスコミからの尖閣諸島の情報とは異なる部分も多々あり、非常に興味をそそられた。漁場利用研究が、現在起きている領海問題などとも直結していていることを痛感させられた。その後、港で整備中のパヤオ数基を見学した。
 次に伊良部島の西側に位置する下地島に向かい、佐和田の浜西方、カタルバルイナウに位置する石干見(魚垣(カツ))漁場調査にむかった。案内板によるとこのカツの構造は次のようになる。「北側から南へ放射状に石を積み、南に向かって左側は300m程で、右側は60m程である。放射状の頂点部から出口になっている。高さは海底の地形にあわせて、高いところで1m、低い所は50cm程である。面積は3ha程で、石垣は二重構造(二重積)で頑丈にできている。出口は水路の幅が50cm、長さは3mくらいである。」

沖縄宮古佐和田浜のカツ(撮影:田和正孝)

干潮の時刻にあわせて現地に到着したが、この日は中潮だったこともあり、石干見の一部が水面上から浮かび上がっている程度であった。現場には、石干見を説明した看板も設置され、石干見が文化資源、観光資源として活用されていることを知った。その後、田和班長の案内で佐和田地区へ移動し、石干見(カツ)の所有者から出漁日数や漁獲物(旧暦6月1日前後に捕るアイゴ(スク)など)をはじめとした貴重なお話をうかがうことができた。また、潮がひくときにカツの出口に設置する網漁具も見せていただき、採寸をおこなった。農閑漁業の歴史と現況、さらに今後のあり方について知ることのできた貴重な機会となった。夕刻には、伊良部漁協や宮古島市役所の方々と再び情報交換をおこなった。

カツの捕漁部(カツノフグリ)(撮影:田和正孝)

 最終日である12月26日は、早朝にホテルでの打合せの後に、伊良部港へ移動し9時過ぎに解散した。班員は、宮古島市立図書館、総合博物館の調査見学、島の民俗調査、伊良部島佐良浜地区の漁港施設、漁船の撮影と、スーパー、商店での聞き取り調査など、各自が調査をおこなった。
 今回の調査は、パヤオ(浮き漁礁)と石干見の漁場利用調査を中心に、南洋へのカツオ出漁史という歴史的問題、現在の尖閣諸島出漁をめぐる領海問題と漁場利用の関係の問題など多くの課題について調査することができ、とても有益な機会となった。調査を通じて、班員相互の関心を踏まえた共有すべきテーマもいくつか出てきた。最後に、企画から案内まで全般にわたりお世話くださった若林先生、現地で大変お世話になった宮古島市教育長川上哲也氏はじめ関係の皆様に深謝申し上げます。 (橋村 修)

【 写真上段より 】
① 池間島のカツオ漁業記念のモニュメント(撮影:橋村修)
② 伊良部島佐良浜のカツオ漁100周年記念碑(撮影:橋村修)
③ 陸上にあげられている浮き漁業パヤオ (伊良部島佐良浜港にて2010年12月 撮影:橋村修)
④ 沖縄宮古佐和田浜のカツ(撮影:田和正孝)
⑤ カツの捕漁部(カツノフグリ)(撮影:田和正孝)

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