共同研究

2-1.民具の名称に関する基礎的研究

— 共同研究者の連携強化に関わる第5回国際シンポジウムの参加報告 —

日程: 2014年 3 月9 日(日)
場所: 神奈川大学 横浜キャンバス
参加者: 佐々木 長生
 国際常民文化研究機構 第5回国際シンポジウム「渋沢敬三の資料学-日常史の構築-」に参加して
渋沢敬三没後50年の記念の年にあたり、渋沢敬三の学問に関する企画展やシンポジウムが各地で行われていることは、民俗学および民具学を学ぶ私にとっても大変嬉しいことである。「民具」という言葉を誕生させ、日本常民文化研究所を開設され、ここから多くの民具研究者が輩出され、今日の民具研究の原点となっているのが渋沢敬三であると、私はいつも民具研究の「神」的な存在として、民具研究に携ってきた。財団法人日本常民文化研究所より発刊されている『民具マンスリー』は、民具研究の成果を発表できる場として、私は昭和53年に故河岡武春先生のおすすめで最初に執筆させていただき、刊行された時の感動は今も忘れられない。現在、神奈川大学に日本常民文化研究所が移管された現在も、私は最初に投稿した時の感動を忘れられず、今日でも『民具マンスリー』に会津地方における民具および民俗に関する調査成果を発表し、多くの方々より御叱正・御教導いただいていることが、私の民具研究の励みとなっている。私のような地方に居りながら民具研究ができる環境を与えてくれているのが、『民具マンスリー』という研究を発表する環境を設けてくれているのが、日本常民文化研究所であろう。
 渋沢敬三は、昭和初期から多くの若い研究者にもこのような研究の場を開き、その御人徳に多くの研究者が集ってこられたことは、これまでの研究からも理解することができた。しかし、このたびのシンポジウムでは渋沢敬三という民具研究の原点ともいえる一人の人物を、国際的な視野から考えるシンポジウムは、没後50年にあたり改めて考えさせられる有意義な学術会議といえる。渋沢敬三の民具研究の視点は、敬三の還暦記念出版である『日本の民具』全四巻の刊行にあたり、四巻のアジアの民具編に象徴される。私どもは、農・山・漁村・町の三巻はよく目を通したものの、四巻目は外国のものと軽視した観がある。民具研究を年を重ねるごとに、日本とアジア・外国と比較する視点が養われることにより、その重要性が痛感させられた。今回の国際シンポジウムはまさにそうした視点をヨーゼフ・クライナー先生はじめジョセフ・キブルツ先生、曹幸穂先生、崔順権先生など、ドイツ・フランス・中国・韓国の研究者の眼から日本の民具について、渋沢敬三の民具研究について講演されたことは、日本の民具を再考する何よりの研究となった。そして渋沢敬三の民具研究の草創期から師と仰いで渋沢の「資料学」ともいえる研究方法を継承され、今日の民具研究の基礎を構築された宮本勢助・馨太郎と親子三代にわたって研究にあたられてきた宮本瑞夫氏の御発表には民具研究の歴史がオーロラの如く感じられた。私は国際常民文化研究機構では、民具の名称に関する研究に携っており、南会津郡只見町の民具の名称を中心にしながら只見の民具についてここ5年間、調査・研究にあたってきた。今回の国際シンポジウムに際して、只見町における民具の整理および調査・研究の成果が神奈川大学COEの研究により、インターネットにより世界的に発信されるようになった。このような研究環境から、会津の一山村の只見の民具が国際的な視野に公開されるという、渋沢敬三が「民具」という言葉を世に誕生させた時代では想像もできなかったことである。このような民具も国際的な研究資料となった今日、このたびの国際シンポジウムは渋沢敬三没後50年、そして51年目に新たな研究へ発進したことを象徴するシンポジウムとなったことを私は会場の熱気から感じ取ることができた。民具は造った人、使った人の心のこもったまさに「身辺、卑辺の道具」である。
 現在、中国や韓国で民具の整理、調査研究を国をあげて取り組んでいることも両国の先生の発表から如実に紹介された。日本でもこのような国あげての研究体制の必要性を感じた。そうした意味で、国際常民文化研究機構のこれまでのシンポジウム、年報の発行、成果叢書の発行などの活動は、その一つの画期的な授業をなったことと私は民具研究に携るものとして感じた。こうした気運が多くの研究者、そして日本の国民に理解されていくことを切に希望したい。その原点となるのが、渋沢敬三の民具研究をはじめ「常民学」であり、その研究方法となる「資料学」を今後構築していくことが、これからの民具研究の課題であろうと、今回のシンポジウムから痛切に考えさせられた。私の今後の民具研究にとっても、記念すべき一回となった。

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— 共同研究者の連携強化に関わる第5回国際シンポジウムの参加報告 —

日程: 2014年 3 月9 日(日)
場所: 神奈川大学 横浜キャンバス
参加者: 八重樫 純樹
 第五回国際シンポジウムに参加して(2014.3.9)
 今回の国際シンポジウムは、特定のテーマに焦点を当てた内容ではなく、6人の講師の発表内容は非常に幅広いテーマで多少麺食った面もあった。筆者の専門は応用情報学でデータベース等の情報組織化論であるが、この5年間「民具名称の基礎的研究」の研究分担者として農具等の民具全般の情報構造について研究・議論を進めてきており、この報告の中で一番興味を引かれたのはパネル報告の「伝統的農具に見る中国農民史」(曹幸穂氏:中国農業博物館 農業史研究所 前所長)の報告であった。
 中国5千年の歴史では、数々の皇帝や英雄に彩られていると思っていたが、実は歴史の真の基層にあった農民の歴史が語られたのを初めて聞き、新鮮であり、かつ、中国の農具の歴史に非常に興味が湧いた。農具と栽培方法の発展は農産品生産の根源であり、国力・文明の基礎である。どの時代にどのような農具の変遷があったのか、詳しい内容に触れるだけの報告時間が無かったのは残念であった。いつか、中国農業博物館に行き、実物農具を見ながら、その歴史的変遷を調べたいと思った。
 また、「コメントおよび総合討論」で佐藤健二氏(東京大学)が最後に、「情報共有化」、および「索引」作成の必要性を述べておられた。まさにインターネットによる情報共有化の必要性と、データベース作成(索引として)の課題と認識した。ただ、索引には「分類」が必要である。お話の中で、民俗学の一様「分類」には否定的なお話をされていた。これから民具等のデータベース研究が開始されるが、これには矛盾の多い、旧態依然たる文化庁の「日本民俗分類」の再構成が必須である。
ここら辺が、次期「民具名称の基礎的研究」の核心的なテーマであろうと考えた。

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— 共同研究者の連携強化に関わる第5回国際シンポジウムの参加報告 —

日程: 2014年 3 月9 日(日)
場所: 神奈川大学 横浜キャンバス
参加者: 上江洲 均           
 第5回国際シンポジウム『渋沢敬三の資料学—日常史の構築—』を聴講して
今回のシンポジウムは、渋沢敬三の没後50年を記念する年の締めくくりをなす行事とうかがっており、基調講演・パネル報告も国内外から、その道の一線で活躍する研究者によるもので、聴き応えのあるシンポジウムであった。渋沢敬三は、常民の日常の生活を研究するのに、民具をはじめ写真や文書資料までも駆使した調査をし、記録することに努めた。その研究法は内外に影響を与えており、現在も研究の裾野を広げている。
シンポジウムの順を追って振り返ってみることにする。まず、ヨーゼフ・クライナー氏による「ヨーロッパ人の日本関係コレクション」やジョセフ・ギブルツ氏による「お札」によって、19世紀欧米人による日本の民具(生活用具)を中心とする研究方法が紹介された。19世紀に来日し膨大な資料収集を行ったシーボルトやモースは有名で、日本文化を総合的に把握しようとする方法論の表われであり、その先駆的な研究法には学ぶべきところが多い。映像や音盤という記録定着の資料も、文書同様の記録性があり、これは時代の変化を知るためには効果的であり、宮本瑞夫氏や福岡正太氏の発表は興味深いものがあった。最近は写真から撮影された時代を読み解くことが行われており、それは過去を遡って研究する分野の学問にとって欠かせぬ存在となっている。また福岡氏の報告では、戦前の国内、台湾や韓国の録音資料があり、その再生音楽は歴史を語らせるのにそれなりの意義あることと思われる。音声の記録性ということで理解できる。ただし、「内地」発による音楽が、「外地」と呼ばれる植民地でどのように受け入れられたものか。そしてその一方的かもしれない音楽の流れを捉えて、「東アジア音楽」と言えるかということについて、一様に理解が得られるかは多少疑問を感ずる。
最も興味深かったのは、中国の曹幸穂氏「伝統的農具にみる中国農民史」と韓国の崔順権氏「農村の生活文化調査と持続的な記録の必要性」という報告であった。
中国は、数千年の歴史的遺産の研究(考古・古美術)でめざましい成果をあげている反面、現代の農耕具研究に対しては、さほど研究が進んでいるとは言えないのではないか、と考えていた。しかし、「農業博物館」があり、専門の研究者が置かれていることであり、むしろ日本の方が民具の保存や研究に関して、問題が多いのではないかと思うようになってきた。曹氏は、木や石を素材とした道具使用の人類史から述べている。また、人の移動によって、道具は伝播していくことを指摘している。日本の農具は、古代以来、犂や鍬の耕作用具をはじめ唐竿や唐箕のような穀物調製用具に至るまで、中国からの伝来によるものである。日本側から言えば、中国民具との比較研究を抜きにして考えることができない。農耕具ばかりではない。例えば竹製品の「ソーキ」(沖縄での名称)でいえば、おそらく中国の「筲箕」が基本となって、形や名称が朝鮮半島や日本にも伝わったのではないかと考える。韓国の「ソクリ」日本の「ショウケ」と呼ばれるザルのことである。
崔氏の農村での「サリムサリ調査」は、民具や所帯道具などすべての生活用具を対象にする民具・民俗調査で、興味深い報告であった。こちらの話で恐縮だが、私も若い頃、宮本常一の指導の下に、仲間とともにモデルに選んだ一軒の民具の悉皆調査をしたことがあった。しかし、不準備のうえ短期間の中での作業であったため、目的を達成することはできなかった。そこにはしっかりした計画と彼我の信頼関係が築かれなければ不可能で、その点崔氏の所属する韓国国立民俗博物館の事業は、研究者と地域住民が築いた信頼関係に基づいたものであり、高く評価できる。その調査に基づく資料(民具など)の戸籍作りは、資料的価値が高いといえる。ただ、懸念されることは、博物館の資料収集を性急に行えば、長い時間をかけた参与観察の目的が崩れかねないのでは、ということである。つまり「賞状」などはその家の歴史を語るモノとして、これからも永らくその家に保存されるべきものだからである。自然の変化にゆだねてモノの変化を見るのが参与観察であり、研究者の関与によってモノの使用歴に変化を与えてはならない、と考えるからである。 
とはいえ今回のシンポジウムは、いろいろな意味で充実した内容であった。聴講者の一人として考える機会を与えて頂いたことに感謝する次第である。                    

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— 共同研究者の連携強化に関わる 第9回公開研究会 「台湾における物質文化研究の現状と課題」の参加報告 —

日程:  2013年 3月 16日(土)
開催場所: 神奈川大学横浜キャンパス
参加者: 佐々木長生

 第9回公開研究会「台湾における物質文化研究の現状と課題」に参加。台湾における物質文化研究に日本の研究者、特に国分直一氏の業績が先駆的な役割を果たしていることを、王嵩山氏「台湾における原住民の物質文化研究について-1895年以降現在まで-」の発表によって知る。日本の文化人類学研究の業績を再認識することができ、民具研究をテーマとする自分にとり、民具研究の国際的意義と方法について視野が拡大された点、有意義な研究会となった。
 次いで、黄貞燕氏「台湾における民俗系博物館の現状と問題」は、多数民族からなる台湾の民具研究と、それを収蔵・展示する民俗系博物館の現状を把握することができた。
 日本のように沖縄・アイヌ民族と南北の地域に、特殊な生活環境を有する民族が存在するが、大きくは九州・四国・本州そして北海道と同一視できるような環境において、物質文化の研究は発展してきたといえる。そうした点で民具の分類とか体系づけは、全体的に整理されてきたことが、台湾の現状から痛感することができた。こうした発展的な日本の民具にあっても、全国的に比較・研究する上では、その指標となる名称の基準を作ることが必要であるといえる。 (佐々木 長生)

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公開研究会「台湾における物質文化研究の現状と課題」 (終了報告)

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— 共同研究者の連携強化に関わる 第9回公開研究会 「台湾における物質文化研究の現状と課題」の参加報告 —

日程:  2013年 3月 16日(土)
開催場所: 神奈川大学横浜キャンパス
参加者: 八重樫純樹

 実は、筆者は2007年9月に台湾の文化財関係情報化動向調査のため、文科省科学研究費補助金で
台北の故宮博物院に訪問調査行った折、2002年~2006年に台湾では国を挙げて、文化財はおろか、自然史分野も含めてNDAP(National Digital Archives Program)の第一期活動を遂行し、第二期活動が遂行されていることを知った。今回講演されるお二方ともに、台北芸術大学文化資源学院/博物館と文化資源研究センターに関係されており、文化資源研究とDigital Archivesとは非常に結びつきが強いので、下記の4点についてうかがいたく公開研究会に参加した。
  (1)台湾のNDAPの現状と方向性
  (2)NDAPの現状の機構と仕組み・予算
  (3)NDAPの情報システムの仕組み
  (4)全分野がDigital Archivesの対象なので、情報統合化のためのメタデータの仕組み、フォーマット、分類規則
 最後の質疑で、お二人にNDAPについての質問したところ、台湾のNDAPは残念ながら、国会で経済効果が少ないとのことで、今年の5月に幕を閉じることとなってしまったとのことだった。わが国ではまだ全分野を対象としたこれらの活動は行われていなく(韓国では1990年代前半から開始されている)、現在、国立国会図書館(DIR(Digital Information Resource )円卓会議)と総務省とで協議が始まった段階である。
 英国ではすでに、国家規模で博物館、図書館、文書館のDigital Archives化が進んでおり、Cultual Gridで横断的検索が可能となっている。台湾は残念であるが、今後の参考のため上記の(1)~(4)に関する資料を講演者のお二方にご提供いただけるよう依頼し、応諾を受けた。
 なお、韓国の国家分類基準も文化庁の民俗分類を参考にし、矛盾点を解決し、現代生活にも合うように改定した分類基準である。台湾も文化庁の民俗分類の矛盾点と現代生活、さらに自然史との整合をどのように解決したのか、興味津々である。   (八重樫 純樹)

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公開研究会「台湾における物質文化研究の現状と課題」 (終了報告)

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「民具の名称に関する基礎的研究」グループ 成果発表会 合同公開研究会(午後の部) 「日本の船-技と名称-」

日時: 2013年2月16日(土) 13:30~16:30
会場: 神奈川大学横浜キャンパス 1号館308会議室
参加者: 神野善治、佐野賢治、上江洲均、川野和昭、河野通明、後藤晃、佐々木長生、真島俊一、八重樫純樹、石野律子、高橋典子、辻川智代、長井亜弓、馬渡なほ

会場の様子

  本研究会では「東アジアの伝統的な船」と「民具の名称」に関するふたつの研究グループが、その接点を探る試みとなった。ふたりの発表者はいずれも「船」と「民具」の研究をいずれも追及してきた。青森の昆政明氏は、津軽海峡を中心にした伝統的漁船の長年の研究蓄積をもとに発表され、津軽海峡両岸で磯漁に用いられてきた小型の「漁撈用和船」を「磯船(いそぶね)」の名で総称することを提案した。いわば、地域における特徴的様式をもつ対象に与えられた「標準名」的な名称である。昆氏はこの「磯船」の構造的特徴が「ムダマ」と呼ばれる刳木の船底材の存在にあることに注目し、断面構造の変容を考察して、操船技術の特徴のひとつがクルマ櫂による操法であることを示した。さらに『みちのく北方漁船博物館』による「みちのく丸」の復元事業を通して、大型の「運搬用和船」である「弁財船(べざいせん)」の船体構造と部分名称、操船技術の実践的検討の経緯を紹介した。
  続いて東京の眞島俊一氏は、氏が主宰する「テム研究所」が1900年代末に日本のほぼ全海岸線を踏査して、沿岸に残された伝統的な木造船の実態を明らかにした調査成果をもとに、今回、改めて和船の名称と構造の分析を、膨大な写真・作図を提示しながら、発達史的に提示された。船図面・絵馬・文書記録などに基づいた旧来の和船研究に対し、ふたつの発表は、残存する実物の船の情報集積(民具学的な研究)や技術復元の実験的研究に基づいた飛躍的展開があり、新しい「日本船名集」実現の可能性を予測させた。   神野善治(司会者・研究グループ代表)

当日の会場の様子

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平成24年度 第7回共同研究会(神野班全体会2)

日程: 2013年2月15日(金)・16日(土)
場所: 神奈川大学27号館B棟201研修室(15日)、日本常民文化研究所会議室(16日午前)
参加者: 神野善治、佐野賢治、上江洲均、川野和昭、河野通明、後藤晃、佐々木長生、真島俊一、八重樫純樹、石野律子、
高橋典子、辻川智代、長井亜弓、馬渡なほ

■概要
 ◎ 第一日目/午後のみ ◎ 13:00~16:30

(1) 鹿児島県の民具名称(漁撈用具)/川野和昭
  10月29日(月)30日(火)開催の東京部会その4に引き続き、川野氏を中心に鹿児島県の民具一覧表を検討。今回は黎明館収蔵品目録Ⅳ産業(Ⅱ)をもとに作成した“漁撈用具”の項に添って、「1.漁船と付属品」“丸木舟”から「5.水産製造加工」“漁撈習俗”までの約106項目について確認した。参加者がフィールドとするそれぞれの地域との共通点や相違点などの意見も出され、活発な討論となった。

平成24年度 第4回共同研究会(東京部会その4)参照

(2)言語の文化圏からみた沖縄の民具/上江洲均
  「沖縄の民具」に関しても、現在佐々木長生氏が試みているような形で名称一覧が作れないか、上江洲氏を中心に検討を行った。
  現在、「沖縄の民具」の名称は「首里を中心とする沖縄本島」の言語をもって共通名称としている。琉球王国の支配圏という歴史的な観点からすれば、各島々でも通用する首里の言葉をもって“共通名称”とするのは妥当である。ただし、実際は島ごとに多様な文化・言語をもっており、代表させた“共通名称”だけで沖縄の民具名を語ることはできない。
  今回の検討を通し、まず沖縄を「沖縄本島および北部地域」と「宮古・八重山地域」に区分、さらに言語面や文化面で鹿児島よりもより沖縄に近い「奄美諸島地域」を加え、三地域を併記した「沖縄の民具」表の必要が提案された。本プロジェクトの期間内に作成することは難しいが、それぞれの地域で使われてきた民具名称を明らかにしていくことは、共通名称を考える以上に大切なことであり、まだまだこれから先の課題である。「沖縄の民具」表を充実させていく件についても、現在の延長にある作業のひとつとして考えていきたい。

(3)方言辞典から民具名称を探る/神野善治
  『現代日本語大辞典』より民具に関連する項目を拾い出した「民具関連方言資料」を作成。言語的な傾向について報告を行った。


◎ 第二日目/午前 ◎ 9:30~12:30

(4)言語学から考える名称の枠組み/神野善治
  1月開催の東京部会その5で示した「言語学」から捉えた民具名称の枠組みについて、具体例を補強して再報告し、東京部会参加者以外とも、共通認識が得られるよう試みた。

平成24年度 第6回共同研究会(東京部会その5)参照

(5)中東の民具の名称について/後藤晃

  中東の民具名称の傾向や実情について、中東を研究テーマとする後藤晃氏よりご報告いただいた。日本のような単一言語の国家でさえ、各地域には多様な方言があるが、中東の国家は多民族国家であり、多様な言語が存在する。例えばトルコにはおよそ40の言語があるという。これらの国々で使用されている「共通名称」は、学術用語としての名称、研究者レベルの言葉であるケースが多いようである。
例えば、イランでは牛馬に犂を曳かせる「クビキ」を研究書などでは「ジョイント」と呼んでいるが、実際の生活レベルでは全く違う言葉が使われている。実際に調査地において「ジョイント」という名称を使用している地域を見つけることはできなかったとのこと。
  政情不安な国家において、言語は重要な意味をもっており、支配する側が意図的に言葉を流通させ、浸透させていく傾向が強い。日本でも明治政府が標準語教育を推進していったが、現在の中東はそれと同じような状況であり、名称研究はまだまだ先の課題というのが現状のようである。

(6)陸中三陸海岸のくらしと道具-1950年代を中心に/八重樫純樹
  1950年代に陸中三陸海岸(岩泉町大字小本)で使用されていた民具について、その名称や使用法を、八重樫氏の実体験と照らし合わせながらご紹介いただいた。

(7)歴史資料からみた田植えを担当する性の変遷/河野通明
  1月開催の東京部会その5に引き続き、河野氏より田植えの担当者が男性中心から女性中心へと変わっていった経緯について、補足の報告が行われた。また、その根拠となる古文書などの歴史的資料も紹介された。

平成24年度 第6回共同研究会(東京部会その5)参照

(8)福島の民具名称(山樵用具・漁撈用具)/佐々木長生
  1月開催の東京部会その5に引き続き、佐々木長生氏を中心に福島県の民具一覧表を検討。今回は“山樵用具”“漁撈用具”の項に添って、只見、会津、中通り、浜通り、各地域の民具名称について解説していただいた。参加者がフィールドとするそれぞれの地域との共通点や相違点などの意見が出され、活発な討論となった。

平成24年度 第6回共同研究会(東京部会その5)参照

(9)焼酎釜の構造/石野律子
  第一日目の「鹿児島の民具」での検討事項と関連し、石野氏より「焼酎釜の構造(『倉吉の鋳物師』より抜粋)」が提示され、“蒸留装置”の地域による形や方式の違いについて補足説明が行われた。

※その他参考資料として下記資料を配布。
・参考資料①上江洲/「沖縄とツバキの文化史 下」(琉球新聞2月15日付記事)
・参考資料②神野班WG/「沼津の民具」表
・参考資料③神野班WG/「鹿児島県歴史資料センター黎明館 収蔵品目録Ⅳ産業(Ⅰ)」(改訂2013.01.17版)
&「鹿児島県・歴史資料センター黎明館所蔵目録からの民具解説会・タグ名検討会 検討項目・要点のまとめ」
・参考資料④神野班WG/「民具対応表」(改訂2013.02.14版)&
&「民具名称対応表 作業メモ」(2010年6月~2012年2月まで)
・参考資料⑤神野班WG/「神野班WG2012年度作業 中間報告」

以上
神野善治

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平成24年度 第6回共同研究会(東京部会その5)

日程: 2012年1月18日(金)・19日(土)
場所: 神奈川大学27号館
参加者: 神野善治、河野通明、佐々木長生、真島俊一、石野律子、高橋典子、長井亜弓、馬渡なほ

■概要
  [第一日目] 13:00~16:30                                                                                         
 (1)福島県の民具Ⅰ-只見、会津、中通り、浜通りの衣服名称—/佐々木長生
  只見は東京23区がすっぽり入るほどの面積を持ち、通称“只見方式”と呼ばれる記録カードの充実した収集民具を有することから、これまで佐々木氏には「只見の民具」を中心に表の作成に関わっていただいた。しかし、只見の民具は南会津の山間部“山郷(やまごう)”で使用されてきたものであり、当然のことながら会津の平坦部“里郷(さとごう)”のものとは異なる点も多い。また、福島県は阿武隈高地と奥羽山脈によって東西三層に隔てられ、「会津」「中通り」「浜通り」の三地域は、気候も違えば暮らし方も違う。会津地方は日本海側の気候で、冬は降雪量が多く気温も低い。中通り地方は日本海側と太平洋側の気候の中間の気候で、盆地の夏はかなり蒸し暑くなり、冬は冷たい風も吹く。一方、浜通り地方は太平洋側の気候で、梅雨の時期と秋に雨が多いものの、冬は県内で一番暖かく雪はほとんど降らない。また、浜通りは海辺の地域であるが大きな漁港は少なく、阿武隈高地から太平洋に向かって小さな川が縄のれんのように注いでいるため、小さな漁港が点々と存在しているなどの特徴がある。

研究会の様子

  そこで佐々木氏より、神野班で現在作成中の「民具対応表」に連動し、上記三地域の民具の特徴と名称を並列に記載した「福島県の民具」の表を作成したい、との意欲的な申し出をいただいた。
  それを受けて神野班WGは、縦軸に「民具対応表」の項目を残し、横軸に “会津”“中通り”“浜通り”の三地域と、当初より記載してきた“只見”の項目を並べた書き込みシートを作成。この表を軸に佐々木から福島の民具の特徴および名称について解説していただくことにした。
  第一回目の検討となるこの日は、まず最初に佐々木氏が三地域それぞれどのような特色を持っているか、“ユッコギ”“サルッパカマ”などの名称を持つ「山袴」を例に解説。その後、書き込みシートを使った検討を開始し、「生活道具>衣>被り物>テヌグイ」から「同>履物>カンジキ」までの約120項目が俎上に上がった。参加者からも適宜関連事項などの指摘が行われ、質問が飛び交う活発な議論が行われた。

  [第二日目] 9:30~16:30
 (1)民具の名称とその定義/神野善治
  いわゆる「民具の標準名」を考えることは、このプロジェクトに与えられた課題のひとつであるが、そもそも「標準 名」を設定すること自体が成立する課題なのかどうか。比較研究の基礎に民具研究者間で共有できる「学名」のようなものが存在すれば便利には違いないが、人間が作り出し、地域的にバリエーションが多様に展開する民具の世界で、名称の問題を広く考えるのであれば、改めて「モノの名前」のあり方そのものの検討が、このプロジェクトでも避けて通れない前提となる課題だろう。そこで、対象としてとりあげる民具をいかに「定義」するかということについて現在考えているところを示した。
  具体的な「ことば」が意味するところは、同じ言語を使う人たちの間でも、人により、家族や地域によって、どうしてもその範囲に幅がある。特に地域の暮らしを考える民具の世界ではそのことが顕著に表れる。類似する「ことば」どうしの境界は、あいまいな場合が多く、むしろ、その境界では具体例は交錯し、あいまいなのが本質のようなのだ。あまり厳密な定義はできないというのが基本的な事実ではないのか。たとえば、「甕」と「壺」の境目を問うのはきわめて難しい。「胴がふくれ口がつぼんでいる」のが「壺」という器の形態的特徴というが、「口」のつぼみ方が極端でないと「ツボ」とも「カメ」とも呼ばれている場合があり、しばしば人や地域で呼称が入れ違う。しかし、いかにも「甕らしい甕」とか、いかにも「壺らしい壺」は存在するのではないか。境界にあるものを仕分けするのは難しくても、その典型を明らかにし、ある程度イメージを共有することはできるのではないだろうか。その程度の定義ができるとしたら、ひろく共有されていると思われる基本的な民具に関して、それを規定する最低限の条件で、その典型的な特徴によって定義を示し、それを地方ごとに、モノとデータがしっかり一体化している調査事例と重ねていく作業が有効ではないだろうか。現在、製作中の「民具対応表」はだいたいその方向で作業を行っているが、特に定義の欄については、上記の観点を踏まえてすすめていきたいと考えている。

 (2)福島県の民具Ⅱ-只見、会津、中通り、浜通りの農具名称—/佐々木長生
  第二日目は、「生産用具>農業>タゲタ」から検証を開始。「>同>ナエカゴ」までの約110項目について検討を行った。今後も佐々木氏を中心に、「生活用具>食」「生活用具>住」「生産用具>山樵」「生産用具>漁撈」へと順次検討を続ける予定である。

 (3)女の田植えと田の神信仰/河野通明
  男性と女性のどちらが田植えを担うのか。日本では田植えは女性の仕事とされてきたが、いわき市荒田目条里遺跡(あっためじょうりいせき)から出土した9世紀後半の木簡には、田植えが男性中心の仕事だったことがわかる記録が残されている。河野氏は日本への稲作伝来の系統などを図示したうえで、日本に稲作をもたらした経路の一つである朝鮮半島でも男の田植えが中心(たまに女混在)だったことを示し、「田の神信仰の流行とともに早乙女の田植えが拡散したのではないか」との仮説を紹介。本プロジェクトメンバー、特に福島の民俗に詳しい佐々木氏に協力を要請。地域の風習や民具の名称などにその痕跡がないか、情報を求めた。

以上
神野善治

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— 共同研究者の連携強化に関わる第4回国際シンポジウムの参加報告 —

第4回国際常民文化研究機構国際シンポジウム「二つのミンゾク学ー多文化の共生のための人類文化研究ー
日程: 2012年 12 月 8 日( 土 )~  12月 9 日( 日 )
場所: 神奈川大学横浜キャンパス
参加者: 川野 和昭

■ 12月8日(土)                                                 
 壇上にお立ちになったパネリストの方々が、「二つのミンゾク学」の内の「民族学」専門の研究者であり、もう一つの「民俗学」の側の専門の研究者が一人もいなかったのが、先ずは違和感を持った。現在の日本列島における多文化の共生が、外国、例えば、韓国、朝鮮、東南アジア、イスラムといった、外国の文化、異民族の文化の視点のみで論じられたのも、一つの「民族学」側からの議論であったためと思われる。シンポジウムの本論の中で、もう一つの「民俗学」の立場から、かつて、柳田国男が「郷土研究の七つの指針」で提示した、「国内」、「外の国」、「世界」に広げた「比較」の必要性に基づいて、「日本列島内の文化の多様性」の問題提議がなされたならば、「民俗学」と「民族学」の議論が噛み合ったのではないか。かつて岡正雄が「民俗学の外への傾向と、民族学の内への傾向とが合流し、二つの学問的領域とが解消されること」を期待したように、また、石田英一郎が「日本民俗学の研究家と称する人々でも、果たしてどれだけ先生の根本的見解を正当に把握していられるかは疑わしい」という、日本民俗学への批判を克服の道筋、つまり、「二つのミンゾク学」の協働の道筋を示すことができたのではないか。総合討論の中で、フロアーから沖縄の存在や南九州の存在について問題提議が出されたのも、まさに、そこを意識した発言であったように思われる。                                  

■ 12月9日(日)                                            
 公開講座「民族学史の研究」で最も刺激的であったのは、北京大学の王京氏の「柳田国男にとって中国はどんな意味があったのか」と題する発表であった。それは、「柳田の民俗学の根本には、国学の伝統と西洋の学問以外に教養としての中国があった」という指摘であり、批判と同情の眼差しを持ちつつも、1930年代には、「一民族一言語一国家」を前提とした「一国民俗学」が確立するとき、国内の外地はもとより中国は排除されたという指摘である。その端緒に、1917年の台湾・中国大陸の旅で、あまりに広大な国土と複雑な民族、文化が存在する多民族国家の実情にふれ、民族としての統一の重要性を認識したことにあったのではないかという指摘であった。これまで、こうした柳田民俗学の学史の議論の中で、中国旅行記が問題にされたのはおそらく初めてではないか。しかも、それは「日本列島内の文化の多様性」を議論の枠外においた「民俗学」への道を歩き始めたということに繋がる指摘である。しかし、王氏は、一方で柳田が、その後戦中戦後を通して、中国を含めた「比較民俗学」の道を積極的に指向していたことにも触れ、柳田民俗学の持つ多様な方向性を示された。こうした柳田の複雑で多様な軌跡の把握の必要性を説かれた。このことは、「日本民俗学の研究家と称する人々でも、果たしてどれだけ先生の根本的見解を正当に把握していられるかは疑わしい」という、石田英一郎の日本民俗学への批判を克服する道にも繋がる指摘であろう。前日の「多文化共生のための人類文化研究」の問題として、「民俗学」が真剣に立ち向かうべき問題提起であると思われた。  (川野 和昭)

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