共同研究

5-1.第二次大戦中および占領期の民族学・文化人類学

「第二次大戦中および占領期の民族学・文化人類学」グループ 成果発表会

日程:2012年 12月 9日(日)
実施場所:神奈川大学横浜キャンパス 視聴覚ホールB
参加者: 泉水英計、清水昭俊、三浦啓二、中生勝美、重信幸彦、坂野徹、菊池暁、木名瀬高嗣、谷口陽子、王京、金広植、全京秀(ゲストスピーカー)

 12月8日(土)および9日(日)に開催された本機構の第4回国際シンポジウムの第II部として、本研究グループの成果発表会(公開)が行われました。 当日はグループのメンバーに加え、ソウル大学校より全京秀教授をお招きし、発表および議論にご参加頂きました。
 研究者間のみならず、会場からも熱心な質問が相次ぎ、メンバーおよび会場が一体となり白熱した議論が展開されました。

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資料調査(韓国釜山・ソウル)【 植民地期朝鮮の日本語新聞 】

日程: 2012年 12月 12日(水) ~ 12月 16日(日)
場所 :韓国釜山市(釜山広域市立市民図書館)、ソウル市(韓国国会図書館ほか)
実施者: 金広植

 2012年12月12日から5日間、釜山広域市立市民図書館と韓国国立中央図書館などで、主に植民地期の新聞を中心に資料を調査してきた。単行本や雑誌に比べて、新聞資料はアクセスが難しく量も多い。そこで、発行部数の多い影響力のある新聞紙を対象にして1930年代半ばを中心に見てきた。
 朝鮮語新聞としては、東亜日報と朝鮮日報がよく使われており、朝鮮人の意識を把握するにおいて重要な資料である。1930年に朝鮮日報は3万部、東亜日報は2万4千部ほど配布された(朝鮮総督府警務局資料参照)。日本語新聞としては京城日報が3万部、仁川を拠点にした朝鮮新聞が2万1千部、釜山日報が1万4千部で、地方紙として釜山日報に記事は重要だと思われる。釜山日報は釜山広域市立市民図書館で閲覧できるが、今はデジタル化し、インターネットでも見られるようになったようだ。
 三日目からは、国立中央図書館で植民地朝鮮で最も読まれた大阪毎日新聞(4万9千部)と大阪朝日新聞(4万2千部)を調べたが、二つとも縮小版と原本をみることができた。大阪朝日新聞は、縮小版で朝鮮版ではなく、大阪本社版であった。朝日新聞の外地版はゆまに書房で植民地など外地版の一部刊行されている。そこで大阪毎日新聞朝鮮版を中心に民俗学関連、学術関連資料を調査した。原本が比較的よく保存されており、参考になった。 (金 広植 )

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平成24年度 第3回共同研究会

日程: 2012年11月10日(土)
場所: 神奈川大学国際常民文化研究機構 研究室
参加者: 泉水英計、清水昭俊、坂野徹、菊池暁、谷口陽子、木名瀬高嗣、金広植、三浦啓二

各自の叢書の草稿の読み合わせ、および公開研究会のスケジュールの打合せを行った。

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海外調査(ルーマニア) 【 宗教学者ミルチャ・エリアーデの民俗学と日本の民俗学・民族学 】

日程: 2012 年 10 月7 日(日 ) ~ 2012 年 10 月 14 日(日 )
訪問先: ブカレスト大学中央図書館、ルーマニア・アカデミー宗教学研究所、ルーマニア・アカデミー図書館
実施者: 三浦 啓二

大学中央図書館付近のブカレスト大学

 ルーマニア出身の宗教学者ミルチャ・エリアーデについての研究は、シカゴ大学教授として宗教学を指導した米国や宗教学研究と創作活動を行ったフランス以外では、故国ルーマニアにおいて盛んであり、また、ルーマニアは、エリアーデに関する一次資料が豊富に所蔵されている国であるので、調査研究地として選んだ。調査研究の目的は、エリアーデ研究者からルーマニアにおけるエリアーデ研究の動向を聴取して意見交換し、また、図書館に所蔵されているエリアーデおよびルーマニアの民俗学に関する資料・文献を調査・収集することであった。
 最初に、ブカレスト大学中央図書館およびルーマニア・アカデミー図書館の資料・文献の所蔵状況を調査した。ブカレスト大学中央図書館において、エリアーデの論文、記事等の掲載されている1930年代に発行されたルーマニアの新聞「クヴントル(言葉)」、雑誌「王立財団雑誌」および「ブレーメア(時代)」等を閲覧調査し、エリアーデのフォークロア、宗教学、東洋学の各研究および日本への関心を示している論文、記事を研究し、複写・収集した。
 また、ルーマニア民俗学については、雑誌「民俗学雑誌」および「王立財団雑誌」に掲載されている、ルーマニアの民俗学者(カラコステア、タロシュ、ヴラヴィエ、パパディマ等)の論文、記事、および関連文献を閲覧し、ルーマニア民俗学の中心の研究テーマである「マノーレ親方伝説」(建築に伴う人柱伝説)のバラッドおよび牧畜社会の出来事を歌った口承叙事詩「ミオリッツァ」等につき研究し、複写・収集した。

ブカレスト大学中央図書館所蔵雑誌「王立財団雑誌」表紙 雑誌「王立財団雑誌」に掲載されたエリアーデの論文「インドの悪魔信仰とルーマニアの伝説」の一頁

 更に、ルーマニア・アカデミー図書館でも同様の調査研究を行った。その間、ルーマニア・アカデミー宗教学研究所のエリアーデ研究者の民族学・文化人類学者オイシュテアヌ氏、宗教学・チベット学者のチュルティン氏等を訪問し、筆者よりエリアーデと日本民俗学・民族学との関係(岡正雄の論文「古日本の文化層」、南方熊楠の「マンドレーク論」等)につき説明し、エリアーデのフォークロア研究、日本についての研究と関心、戦後のルーマニア社会主義政権との関係等につき意見交換し、同研究所発行の宗教学雑誌および東洋学雑誌の寄贈を受けた。

宗教学研究所があるルーマニア・アカデミ— 宗教学研究所のエリアーデ研究者オイシュテアヌ氏、チュルティン氏

 また、ブカレストに研究のため長期滞在中の北海道大学のエリアーデ研究者奥山史亮氏と日本における最近のエリアーデ研究につき意見交換し、関係文献の収集を行った。  (三浦 啓二)

写真上段: 大学中央図書館付近のブカレスト大学
写真中段: ブカレスト大学中央図書館所蔵雑誌「王立財団雑誌」表紙(左)、
雑誌「王立財団雑誌」に掲載されたエリアーデの論文「インドの悪魔信仰とルーマニアの伝説」の一頁(右)
写真下段: 宗教学研究所があるルーマニア・アカデミ—(左)、
宗教学研究所のエリアーデ研究者オイシュテアヌ氏、チュルティン氏等と懇談(右)
(すべて筆者撮影)

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平成24年度 第2回共同研究会

日程: 2012年9月29日(土)11時~18時
場所: 神奈川大学国際常民文化研究機構 研究室
参加者: 中生、坂野、菊地、木名瀬、谷口、三浦、重信、金、泉水

 シンポジウム関連の日程確認のほか、下記の通り、口頭発表と質疑応答があった。
 
 ・ 三浦啓二「ミルチャ・エリアーデと日本の民俗学・民族学」
 ・ 重信幸彦「構想/構想する『民ゾク学』」
 ・ 坂野徹「太平洋戦争と『縄文人』研究」
 ・ 中生勝美「『大東亜共栄圏』の民族学—民族の戦争利用」
 ・ 木名瀬高嗣「『アイヌ民族綜合調査』と戦後のミンゾク学/アイヌ研究」
 ・ 谷口陽子「米国人による戦後日本調査とその展開」
 ・ 菊地暁「民研本転々録—国立民族研究所蔵書の戦中と戦後—」

(泉水英計)

研究会の様子
研究会の様子

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資料調査(韓国) 【 第二次大戦中の「朝鮮民俗学会」関連資料を求めて 】

日程: 2012年 9月 4日(火)— 9月 8日(土)
訪問先: 韓国ソウル(韓国国立中央図書館、ソウル大学図書館、西江大学図書館)
実施者: 金広植

 2012年9月4日から五日間、韓国に資料調査に行ってきた。当初の予定通り、韓国国立中央図書館・ソウル大学図書館・西江大学図書館で、1930~1940年代の朝鮮民俗学会関連の資料を求めて回った。
 初日から三日間は、植民地関係資料が最も多い韓国国立中央図書館とソウル大学図書館で関連資料を探し、単行本はもちろん、雑誌・新聞記事も多く集めることができた。
 四日目の7日には、西江大学図書館所蔵の大衆向けの観光雑誌『文化朝鮮』(東亜旅行社京城支社発行)をほぼ閲覧することができた。四巻までは韓国国立中央図書館に所蔵されているが、五巻・六巻(1943~4年)は韓国では西江大学図書館のみが所蔵している。目次を確認し、関連記事を読むことができたことは大きな収穫であったが、朝鮮民俗学会の寄稿文が見つからなかったことは残念だ。しかし、それを確認できただけでも意味があると考えている。
 今回の資料調査では、雑誌を中心に貴重本が多く所蔵されている韓国の民間文庫<雅丹文庫>に事前申請が幸運にも許可され、初日(4日)に調査できたことは大きな収穫であった。大衆向けの季刊風俗雑誌『京城ローカル』9集(1940)を確認できたのも幸いだった。10月にまとめる予定の論文報告に向け、大変充実した資料調査を行うことができた。 (金広植)

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平成24年度第1回共同研究会

日程: 2012年 7月 6日(金)~ 7月 8日(日)     
場所: 神奈川大学国際常民文化研究機構 研究室<
参加者: 泉水英計、清水昭俊、中生勝美、坂野徹、菊地暁、木名瀬高嗣、谷口陽子、三浦啓二、重信幸彦、金広植、王 京

(1) 新規加入メンバーの紹介
(2) 公開研究発表会「ミンゾク研究の光と影—近代日本の異文化体験と学知—」の開催および成果報告書(国際常民文化研究叢書)刊行にむけた相談。
(3) 研究発表:
①清水昭俊「民族学の学術動員—平野義太郎の戦時プロジェクト」   

レジメを読む

②金広植「植民地期日本語朝鮮説話集の刊行とその意味」       

レジメを読む

③泉水英計「川平朝申論—植民地台湾から米軍政下琉球へ」

(王京)

清水氏 金氏 研究会風景

写真 左より:清水氏、金氏、研究会風景

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海外調査(台湾) 【 日本の人類学者による第二次大戦中および戦後の台湾研究に関する現地調査 】

日程: 2012年3月17日(土)~3月21日(水)
実施地: 台湾南投県仁愛郷霧社、台中市(国史館台湾文献館)、台南市(国立台湾歴史博物館)
実施者: 坂野徹・泉水英計

  今回は、戦前および植民地解放後台湾で調査研究を行った日本人人類学者(金関丈夫、移川子之蔵、国分直一、馬淵東一など)の調査の足跡を確認しつつ、資料を収集する目的で、台湾における現地調査を実施した。主な訪問先と調査の概要は下記の通りである。

  (1)3月18日は、日本統治時代最大の原住民蜂起事件である霧社事件が発生した霧社(現・南投県仁愛郷霧社)を訪問し、原住民蜂起事件が現在どのように表象されているかを現地で調査した。
  (2)3月19日は、台中にある国史舘台湾文献館を訪問し、日本統治時代および植民地解放後の中華民国側の公文書を調査した。
  (3)3月20日は、国立台湾歴史博物館(台南市)を見学し、日本の人類学者が現在、台湾でどのように表象されているかを確認するとともに、資料調査を実施した。

  特に、国史舘台湾文献館の資料調査においては、調査員である呉哲裕氏の親切なご協力をいただいた。記して感謝したい。 (坂野 徹)

霧社・徳龍宮(旧・霧が丘神社)から見た紺碧湖(旧・霧社の日本人居住地区) 国史館台湾文献館 国立台湾歴史博物館

写真上段左より: ■ 霧社・徳龍宮(旧・霧が丘神社)から見た紺碧湖(旧・霧社の日本人居住地区) ■ 国史館台湾文献館
■ 国立台湾歴史博物館
(国史館台湾文献館は泉水、ほか2点は筆者撮影)

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平成23年度第5回共同研究会および公開研究会「沖縄の民族学—民俗学と社会人類学のはざま」

日程:2012年 3月 13日(火)
実施場所:神奈川大学横浜キャンパス
参加者: 泉水英計、菊地暁、坂野徹、清水昭俊、谷口陽子、中生勝美

正午より共同研究メンバ-の会合をもち、今年度の活動報告と次年度の活動計画について相談した。
終了後15:00からは、社会科学高等研究院(EHESS)日本研究所のパトリック・ベイベール氏を招き
「沖縄の民族学—民俗学と社会人類学のはざま」というタイトルで公開研究会行った。

公開研究会の詳細について

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海外調査(韓国) 【 昭和11年アチック多島海探訪の検証 】

日程: 2012年2月12日(日)~ 2月16日(木)
訪問先: 韓国 木浦大学校島嶼文化研究所ほか
参加者: 菊地暁・泉水英計

一次葬の草墳(チョブン)

 1936(昭和11)年8月、渋沢敬三とアチック・ミューゼアム同人は2泊3日の行程で全羅南道の島嶼部を視察した。その記録は、アチック編『朝鮮多島海旅行覚書』(1939)、アチックフィルム『多島海探訪記』や日本常民文化研究所「アチック写真」として残されている。国際常民文化研究機構と学術交流協定を結んだ木浦大学校島嶼文化研究院はこれらの資料を活用した研究を進めており、一方、機構ではシンポジウム「渋沢敬三の資料学」の企画を進めていることから、アチックの探訪地に日韓合同で視察隊を送ることになった。派遣にあたっては渋沢敬三50年忌記念事業の一環として財団法人MRAハウスから助成を受け、また、共同研究グループ「アチックフィルム・写真にみるモノ・身体・表象」、日本常民文化研究所、渋沢史料館など、多くの関係機関やプロジェクトから参加者がでた。日本の民族学・文化人類学史を扱う本共同研究グループにとっては、豊富な映像資料を用いて旧植民地のフィールドワークを検証できる希有な機会でもあることから、この合同視察に同行することにした。

 2月13日(月)は、旧木甫日本領事館、旧東本願寺木甫別院など、市内に残された植民地時代の旧跡を視察した後、木浦大学校にて開催された共同ワークショップ「東アジア島嶼・海域学術検討会」に参加。このほか、島嶼文化研究院を見学し、同研究院の所蔵する族譜・洞案などの古文書、写真やフィールドノートなどの調査研究資料を閲覧した。

2月14日(火)は午後8時、漁業指導船「全南213号」にて木浦港を出航。今回の視察のために特別に手配された船だという。雨中、2時間の航海を経て霊光郡下落月島に上陸。落月面のキム・スンゼ氏の案内で、集落裏手の尾根に一次葬の草墳(チョブン)を見学(写真右上)。藁を足しつつ腐敗させ、骨化後、土饅頭墓に改葬するという。

その後、徒歩にて上落月島へ。こちらが面の中心で、警察署や小学校などもある。碇の溶接や漁網の修繕の様子を見学。アチック写真の撮影ポイントであった高台に登る(写真左下:アチック写真に映った上落月里。写真右下:現在では海岸沿いに舗装道路が敷かれ往時の面影はない)。昼食後、ふたたび全南213号に乗船。

アチック写真に映った上落月里 現在では海岸沿いに舗装道路が敷かれ往時の面影はない

思悼世子(サドセジャ、米櫃で餓死したといわれる李朝の皇子)の因縁がある聖地

15時、新安郡水島上陸。海苔の水揚げ作業を見学。雨があがる。面長の御案内でアチック写真に写された井戸を同定。このほか、集落裏手の山上にある堂を見学。思悼世子(サドセジャ、米櫃で餓死したといわれる李朝の皇子)の因縁がある聖地とのこと(写真右)。この堂を祀ったムーダンの子孫は今も姓名判断で繁盛しており、この堂の手入れを欠かさないという。

17時、荏子島(正確にいえば、陸続きになっている鎮島)上陸。バスにて大光海水浴場にある木浦大の研修所に移動、投宿。夕食後、19時半より荏子面事務所にてアチックフィルム『多島海探訪記』の上映会。島民60名あまりが参加。スクリーンに映し出された懐かしい光景に歓喜の声が上がる。唐竿を用いた脱穀作業の映像を見て、古老がその際に歌う民謡を身振りをまじえて披露して下さった。一方、フィルムを見た島民の一人から、アチックの調査と植民地支配の共犯関係を疑う声も上がり、植民地期の調査成果を今日においていかに取り扱うべきかというポストコロニアルな課題の存在も浮かび上がった。

2月15日(水)
9時、バスにて下牛里へ。漁港を見学の後、下牛里敬老堂にて地元の古老より聞き取り調査。許英植(ホウ・ヨンシ)(1929年生)によれば、アチックフィルムにある脱穀作業は、この里での共同作業(Pum A Shi、日本の結のようなもの)を収めたものとのこと。彼の案内で、アチックフィルムにあった石臼が設置されていたという庭や、波市の井戸跡を見学。波市は1952年までこの地にあり、後にチェゴンドルに移動して20年ほど存続したという(写真左下:アチック写真より。写真右:右手前に波市利用者が使った井戸跡がみえる。波市は遠景の護岸工事中の海岸にあった)。

アチック写真より 右手前に波市利用者が使った井戸跡がみえる。波市は遠景の護岸工事中の海岸にあった。

11時半 荏子面事務所にて、朴次奎氏(1935年生)にアチックフィルム『多島海探訪記』をみてもらう。フィルムに映された脱穀作業をする婦人が朴氏の母・朱又葉(1905年生)であることを確認。また、アチック写真中に母親に抱かれる朴氏本人の姿を確認。朴氏、感涙。「数日前に母親の夢を見た。親孝行ができなかった」と語った(写真左下:映画に映る母を前に語る朴氏。写真右下:アチック写真中に母に抱かれた幼い自分を見つけ記念撮影)。

映画に映る母を前に語る朴氏 アチック写真中に母に抱かれた幼い自分を見つけ記念撮影

昼食後、フェリーにて智島に移動。陸路にて曽島の羽田里へ。15時半、趙成六氏(1934年生)の案内で敬老堂へ。チョウ・ダムス氏(1928年生)は金剛丸の訪問を覚えており、日本人を恐れた女性たちが逃げ隠れた、一行から海苔巻きと沢庵をもらった、などと語っていた。アチック写真にある一行記念撮影(写真左下)の大木の同定。すでに伐採されたが、付近にある同種の大木が同様に枝を広げ、往時をしのばせた(写真右下)。

アチック写真にある一行記念撮影 付近の同種の大木

この後、干潟博物館、塩博物館を訪問。智島で夕食をとった後、バスにて木浦へ。二日間と短期間ながら非常に濃密な視察を無事終了した。 (菊地暁・泉水英計)

関連のサイト

[2]韓国・木浦大学校島嶼文化研究所との学術交流

【韓国多島海の干潟-濁りの美学】

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資料調査(沖縄) 【 1930年代の西南諸島および台湾原住民調査資料 】

日程: 2012年 1月 26日(木)~ 1月 31日(火)    
訪問先: 沖縄那覇(琉球大学図書館・沖縄国際大学南島文化研究所・沖縄公文書館・沖縄県立図書館)
実施者: 中生 勝美

 日本における人類学の研究は、南島研究が重要な位置を占めている。その中には柳田国男や折口信夫の南島研究が、人類学及び民俗学に大きなインパクトをもたらした以外に、本流から外れた研究者の調査も、発掘する余地を秘めている。
 今回の調査で重視したのは、河村只雄(1898-1941)の南西諸島、および台湾原住民の調査記録である。これについては、以前から継続して調査をしているので、簡単に概要を紹介したい。河村只雄は、同志社大学か神学部を卒業してアメリカへ渡り、最初はキリスト教学を専攻していたが、シカゴ大学で社会学を学び、徐々に人類学へ傾倒していった。河村は、アメリカから帰国後、ロバート・ロウィの『原始社会』を翻訳し、1939年に第一出版社から出版している。ちなみにこの本は、息子の河村望が手を入れて、共訳という形で1979年に未来社から再版されている。河村の関心は、国民精神文化研究所に奉職した後も、当時の人類学の主要テーマである家族や共同体に深く関心を寄せ、次の2冊の報告書を出している。
  ・ 『私有財産制度の研究』 國民精神文化研究所, 1937年
  ・ 『親子中心の家族と社会秩序』 国民精神文化研究所, 1941
理論的な著述と同時に、1936年から5回にわたり南西諸島と沖縄に渡り、『南方文化の探求』『薩南・琉球の島々:続南方文化の探求』の紀行文を2冊出版している。沖縄県立公文書館には、河村只雄の写真、日記(1936~38年)、及び40分あまりの35ミリフィルムが所蔵されている。2年前より、これらの資料を基に、沖縄での現地調査を行っているが、今回は、調査を元に、もう一度写真と35ミリビデオの確認作業をすること、および関連地域の郷土史等の資料収集を主な研究課題とした。
 また、昨年度調査したときに複写した台湾の蘭嶼島の写真について、現地で確認をした結果を公文書館に伝え、より詳しい写真資料の解説を提供し、キャプションの修正をした。 (中生 勝美)

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資料調査(沖縄) 【 九学会連合奄美調査(1955〜57年)に関する現地および資料調査 】

日程: 2012年 1月 31日(火)~ 2月 3日(金)  
訪問先: 奄美大島(奄美図書館・瀬戸内町立図書館郷土館・奄美市立歴史民俗資料館・宇宿貝塚史跡公園)
実施者: 坂野 徹

 今回は、九学会連合の第1回奄美調査(1955〜57年)に関わる資料収集と現地側関係者からの聞き取りを目的に、現地調査を実施した。主な訪問先と調査の概要は下記の通りである。
 (1)奄美図書館において、九学会連合の奄美調査に関係する文献資料および新聞記事の調査を行った。
 (2)かつて奄美群島の日本復帰(1952年)の中心となった泉良朗市長の秘書を務めるとともに、復帰後、奄美調査の研究者とも交流した経験をもつ楠田豊春氏(楠田書店会長)から、復帰運動および九学会連合奄美調査に関する聞き取りを行った。
 (3)瀬戸内町立図書館・郷土館で資料調査を実施するとともに、学芸員の町健次郎氏(民俗学)から、九学会連合に対する地元側の反応について知識の供与を受けた。
 (4)奄美市立歴史民俗資料館を見学するとともに、中山清美氏(奄美図書館館長、考古学)から、九学会連合に対する地元側の反応について知識の供与を受けた。
 (5)九学会連合奄美調査の中でも当時、地元にインパクトを与えた宇宿貝塚跡に建てられた宇宿貝塚史跡公園を見学した。
 なお、現地では、森本眞一郎氏、楠田豊春氏、町健次郎氏、中山清美氏から様々な便宜を受けた。改めて感謝したい。  (坂野 徹)

奄美図書館 宇宿貝塚史跡公園

写真:奄美図書館(左)、宇宿貝塚史跡公園(右)

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資料調査(沖縄) 【 川平朝申資料調査 】

日程: 2012年 1月 4日 (水)~ 1月 10日 (火)  
訪問先: 沖縄県公文書館、琉球大学、那覇市歴史博物館、沖縄県立図書館
実施者: 泉水英計

那覇市歴史博物館閲覧室

 川平朝申(1908-1997)は占領初期の文化行政官としての活躍で知られる(同著『戦後沖縄の文化行政史』)が、台湾在住時代に学んだ文化人類学の素養を生かし、琉球史と沖縄の文化財を紹介する多くの啓蒙書を残した。政治的変転の激しい戦中から戦後初期という時期を反映して、台湾総督府臨時情報部での台湾漢人事情の調査、敗戦後は中華民国台湾省政府宣伝委員会での留用、引揚後は沖縄民政府文教局、そして米軍政府の放送局長といったように、奉職先を転々とする。このため彼の履歴を追うことは、それぞれの機関の活動実態を的確に把握する格好の視座を提供するとともに、日本、台湾、中国、アメリカ、そして沖縄という異なる国家や文化集団が錯綜する20世紀中葉の東シナ海島嶼の状況を読み解く鍵を与えてくれる。
 川平氏の個人文書類は那覇市歴史博物館に寄贈され、「川平資料」として一般に公開されている。今回の調査では、金関丈夫、須藤利一、国分直一、馬淵東一などから送られた書簡を中心に閲覧と、撮影による資料収集をおこなった。台湾在住時代の川平が親交を結んだ学者たちであるが、戦後になって日本の学会による沖縄の民族誌的研究が再開されたときに、先陣を切ったのは彼らであり、その受け入れをはかったのが沖縄の行政官となっていた川平であった。このような沖縄研究の戦後復興を支えた台湾人脈の解明が当面の課題である。
 同博物館職員の川島淳氏には、閲覧に特別の便宜をはかっていただいたばかりでなく、川平資料中の重要な資料の教示もいただいた。
 関連して、米軍政府に雇われた川平が沖縄紹介のために編集したとされる報告書(Military Government Activities in the Ryukyus)を長らく探索していたが、今回の調査中に訪れた沖縄県公文書館で司書の協力により発見することができた。 (泉水 英計)

写真: 那覇市歴史博物館閲覧室 (筆者撮影)

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調査(神奈川県・東京都) 【 郷土会「内郷調査」、および、きだみのる『気違い部落周遊紀行』の再訪調査 】

日程: 2011年  12月 23日 (金)
訪問先:(1) 旧津久井郡内郷村(現相模原市相模湖町若柳・寸澤嵐地区)にて大正7年の柳田国男らの共同調査地再訪
     (2) きだみのる『気違い部落周遊紀行』で描写された東京都恩方村(現八王子市)の再訪調査
実施者:菊地暁、坂野徹、泉水英計

今回、日本の村落研究においてエポックメイキングな二つのフィールドを再訪した。

津久井郷土資料室の蔵書

 一つは、1918年、郷土会「内郷調査」のフィールド、神奈川津久井郡内郷村(現・相模原市緑区)である。日本における村落共同調査の嚆矢ともいうべき同調査は、柳田国男(民俗学)、石黒忠篤(農政学)、小田内通敏(地理学)、牧口常三郎(地理学)、今和次郎(建築学)など、さまざまな分野からの参加者10名あまりにより10日間にわたって実施された。この調査には、長谷川一郎などの地元の郷土研究者たちが協力したことが知られているが、その一人、鈴木重光に関わる資料を津久井郷土資料室で実見できた。同資料室のコレクションは鈴木の手になるものが大部分で、広義の郷土研究に関わる膨大な図書・雑誌類のほか、ダム開発で水没した村から収集された民具、フィールドノート(郷土会に関連するものは未発見)、スクラップブック(郷土会に関する新聞記事スクラップあり)、絵ハガキ、タバコ箱などを含む。とりわけユニークなのは、雑多としかいいようのない紙モノ(チラシ、パンフ、半券など)の膨大なコレクションで、市町村合併を機に相模原市立博物館に移管され、現在、整理作業を進めつつ随時展示していく予定であるという(相模原市立博物館にて公開中の資料を見学。担当学芸員から整理状況についてご説明いただいた)。同コレクションは、日本の村落が中央から訪れる研究者によって一方的に調査研究されていたわけではなく、地元のリテラシー層との相互規定的な関係において実施されていたことを示す好資料であり、今後さらなる研究が望まれる。このほか、調査参加者たちの宿泊所となった正覚寺、戦後のダム開発で湖底に沈んだ調査地などを確認することができた。

正覚寺

 もう一つのフィールドは、きだみのる『気違い部落周遊紀行』の舞台となった東京都南多摩群恩方村(現・八王子市)である。きだみのる(本名:山田吉彦)はいわゆる民族学者ではないが、フランス留学中にマルセル・モースに師事、帰国後にレヴィ=ブリュル『未開社会の思惟』を翻訳するなど、同時代の民族学に相当な関心と理解を持っていたことは事実であり、そのきだが、戦中・戦後に住み込んだ恩方村での見聞と対話の記録『気違い部落周遊紀行』(1948)は、頑迷だがふてぶてしくも逞しい村人の生活を赤裸々に活写し、毎日出版文化賞を受賞するなど当時の読書界に一大センセーションを巻き起こした。その恩方村も、高度成長期の都市化の波に呑まれ、現在はごく普通の東京西郊の住宅地となっている。きだが起居した破れ寺も、近年立派に再建された堂舎が真新しい。八王子西インターに隣接するこの村の現在と『気違い部落周遊紀行』との異同は、戦後60年あまりの時間が日本の村落社会に与えた影響を、如実に物語っている。 (菊地 暁)

旧恩方村にて (路傍の石像物群) 旧恩方村にて

写真上段: 津久井郷土資料室の蔵書。郷土会の調査にも協力した地元の郷土研究者・鈴木重光の寄贈になるもので、内外の郷土研究関係図書を含む。
写真中段: 正覚寺。郷土会のメンバーが調査中に起居した。句碑の奉納が盛ん。
写真下段(左): 旧恩方村にて。路傍の石像物群。
写真下段(右): 旧恩方村にて。きだが起居した廃寺も立派に再建されていた。

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